地獄のような身辺整理


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新人研修で激を飛ばすエンジニア

 

自衛隊に入隊すると、最初に教育隊で訓練を受ける。

期間は約3か月ほどだ。

これが本当に、慣れるまでは地獄のような毎日だった。
教官である班長から、毎日怒鳴られ、叱られる。

そして、行動は全てが分刻みで決まっていく。

少しでも遅いと連帯責任として「その場に伏せ!」の合図の元、
腕立て伏せをする羽目になる。

毎日が朝6時に起床のラッパが鳴り、急いで着替えて中庭に集合。
点呼後に朝食、一旦隊舎に戻り、歯磨き洗顔、それに身辺整理。

時間が来たら、また集合、点呼、朝礼、国旗掲揚、
課業、昼食を終え、また集合、点呼、課業、夕方5時に国旗降下。

それが終われば、また身辺整理・・整理整頓の繰り返し。

これに、隊内の清掃が加わると、本当に時間が無かった。
もう殺人的なタイトなスケジュールだった。

教官である班長も、二言目には「身辺整理!整理整頓!」だった。

今、思い返しても、自衛隊の思い出は身辺整理ばかりだ。


本当に、この身辺整理が厄介極まりなかった。


例えば、寝具の毛布の端はバームクーヘンのように
キッチリと揃えてなければならない。

シーツも皺がなく、きれいに引き延ばされていないとダメ。

シャツやズボンも綺麗にアイロンがけが必須だった。

大体、プライベートな空間というのが無く、
各自に割り当てられたベッドの空間と、ロッカーが一つだけ。

これにすべての物品をきれいに納め、毎日整理整頓し、
靴も(確か、短靴、半長靴といった記憶がある)毎日磨いた。

「靴は顔が映るくらいに磨き上げろ!」が班長の口癖だった。

これらの作業を10分とか15分とかでやらなくてはならない。

これらの身辺整理は、班長がOKを出さない限り、何度でもやり直す。

そして、昼の課業の合間の身辺整理などは、時間が短い。

したがって、次の課業の時間までに終わらなければ連帯責任となる。

連帯責任は腕立て伏せが多かった。


何かあれば、班長の「その場に伏せ!」の怒号が響いた。
すると、反射的に皆、「1!2!」の号令でその場で腕立て伏せだ。

とにかく体を酷使した。

だが、人間は不思議なもので、半月も経つと要領を覚えてしまう。

しかし、当たり前だが、自衛隊の班長達は当然分かっているのだ。

新隊員が環境に慣れてくるのを見計らっていてるのだ。

そして、より厳しい対応をしてくる。

今でも覚えているのは、大体1か月くらいが過ぎた頃だ。
精神的にも、慣れが出てきたころだった。

ある朝、何時ものように起床ラッパで起き、集合のち食事を終えた。
そして、隊舎に帰る時だったと思う。(記憶が曖昧だが)

突然、班長が集合をかけた。

何事かと急いで集合してみると、「お前らは最近弛んでる!と
怒鳴られて、腕立て伏せを散々やらされた。

フラフラになって、隊舎に戻ってみると、部屋が滅茶苦茶だった。

ロッカーの扉は外されて、中身は窓の外に投げ捨てられて、
ベッドのマットは廊下に散乱、シーツや毛布もどこにあるやら、
とにかく滅茶苦茶の状態だった。

その前まで、散々に腕立て伏せで時間をとられて、
次の課業時間までほとんど時間が無かった。

そこへまた、集合である。

ズボンは?短靴はどこだ、帽子は?そうしている間に時間切れだ。

また、班長に怒鳴られて腕立て伏せをさせられてしまった。

特に、同じ班の人間が、ロッカー内の整頓をしていないことが
班長にバレてしまい、私の班は特に連帯責任として
動けなくなるまで腕立て伏せをさせられた。

その日は、結局、課業をしたのか、しなかったのか、
今でも思い出せない。

信じられない程、腕立て伏せをさせられた記憶だけが残っている。

この身辺整理は、訓練が進み、各自が小銃を受領すると、
今度は、小銃の掃除という、これまた厄介な作業が増えた。

結局、教育隊にいる間は、ずっと、この身辺整理に悩まされ続けた。

とにかく、時間があれば、どうやったら素早く丁寧に
身辺整理ができるか。

そればかり考えていたように記憶している。

だが、この身辺整理、整理整頓の習慣は本当に役に立った。

それがわかったのは、自衛隊を辞めた後だった。


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管理人 琴峰 一歩      プロフィール

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現在、アラフォーの年齢になった。

10代は、いじめや人間関係に悩み、
苦しみ続ける孤独な毎日だった。

20代では、不安定な経済力や仕事で苦労し、不安な毎日を過ごした。

30代に入り、無職も経験した。
本当に人生を変えたかった。

人生を変える為に、やりたい事、 挑戦したい事は沢山あった。

ただ、それに反比例して、
どうしようもなくお金が無かった。

だから、お金を使わずにできる事。

自分自身の考え方を変えた。

まず、悩み続けた不安定な経済力、雇用関係が変わった。

次に、苦手だった人付き合いが
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長い間、変わらなかった現実が
突然ガラリと変わった。

今は、新しい人生の夢に向かい、
挑んでいる。

そして、それは少しづつ実現中だ。

 

 

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