グッディの問題と報道の問題


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「雨の様子を傘をさして伝える美人キャスター」の写真

先日放映されたニュース番組でグッディとというTV番組があるが、
それが今、結構叩かれている。

私もYouTubeで問題にされている部分の動画を見たが、
私個人の感想としては、非常に腹立たしかった。

炎天下の京都の嵐山で現地レポートをするアナウンサーに対する
一連の対応を巡って、安藤優子アナウンサーが叩かれているが、
見ていてイライラしてしまった。

確かに、安藤アナウンサーの対応には問題があるとは思うが、
彼女一人だけが問題だとは思えない。

毎日、異常気象だ!酷暑だ!熱中症対策!と声高に叫んでいた
報道する側が、夏の京都の暑さを知らなかったはずがない。

スタジオの何人かはフラフラするレポーターに対して
「危ない」と声を掛けていたが、普通の感覚を持っていれば、
そんな事は誰にでも出来るし、危険を予想もできる。

むしろ、最初から炎天下の危険な場所に人を行かせることに、
誰も反対しなかったのが不思議だ。

私個人としては以前から思っていたが、毎回災害やら何やらが
起こるたびに、危険だと分かっている場所にわざわざ人を行かせる
必要があるのだろうかと毎回思う。

もちろん、一人の視聴者して現場で起こっている状況を
知る事が出来るのはありがたい話だ。

それは否定しない。

しかし、それは安全性が担保されての事だと思う。

もちろん、そんな事を言ったら、戦場レポーターどうなんだ!とか
色々な意見もあるだろうが、単なる気象状況を知らせるのに
そこまでリスクを冒す必要があるとは、私個人は思えない。

今回だって、例えば嵐山には観光地だから駐車場も沢山ある。

車の中からレポートして、そのあと車を走らせて
車内から嵐山の様子を映すことだって出来ただろう。

ちょっとでも、安全という事を意識していれば、
何らかの別の対応はできたはずだ。

「報道の自由」や「知る権利」という錦の御旗を掲げれば、
何をやろうが、誰が犠牲になろうが、そんな事は些細な出来事、
つまりはテレビ関係者にとっては、お構いなしなんだろう。

そういう長年の風潮にどっぷり漬かって来たことで、
それが当たり前の感覚になって、危険に対する想像力が
欠如していたのだろう。

単なる勝手な自己満足を、使命感という言葉とはき違えて
長年勘違いしてきたから、今回問題にされているんだろうと思った。

ネットが発達して、今まではテレビの報道だけに頼るしかなかった

一般の人間でも、気軽に情報を発信できるようになったおかげで、
今回のように、テレビの報道に対する姿勢がおかしい!と
声を挙げられるようになった。

こうしてブログ記事を書いている私だって、発信できるくらいだ。

でも、どんなに皆が声をあげても、たぶんテレビは変わらないだろう。

今、台風が接近してきているが、週末から来週にかけて
大雨が降る場所もあるかと思う。

きっと、また同じように危険な場所から
テレビレポーターは報道するのだろう。


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管理人 琴峰 一歩      プロフィール

Revtank Outtakes

現在、アラフォーの年齢になった。

10代は、いじめや人間関係に悩み、
苦しみ続ける孤独な毎日だった。

20代では、不安定な経済力や仕事で苦労し、不安な毎日を過ごした。

30代に入り、無職も経験した。
本当に人生を変えたかった。

人生を変える為に、やりたい事、 挑戦したい事は沢山あった。

ただ、それに反比例して、
どうしようもなくお金が無かった。

だから、お金を使わずにできる事。

自分自身の考え方を変えた。

まず、悩み続けた不安定な経済力、雇用関係が変わった。

次に、苦手だった人付き合いが
嘘のように活発になった。

長い間、変わらなかった現実が
突然ガラリと変わった。

今は、新しい人生の夢に向かい、
挑んでいる。

そして、それは少しづつ実現中だ。

 

 

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