人権を守って人命が失われる馬鹿な話


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路肩に停車するパトカー
先日、福岡で未成年の人間が21歳の女性を刺殺した事件があった。

この少年は更生保護施設から失踪した後に事件を起こしたわけだが
この手の事件を見るたびに思う事がある。

それは「やられ損」という言葉だ。

きっと、というか確実にこの少年は未成年であるがゆえに
この人間に関するあらゆる情報は保護される。

そして必ずと言ってよいが馬鹿な性善説に依るのか
功名心に依るのか、はたまた必要以上に人から良く見られたいのか
それは分からないが、この犯人を守ろうとする人間は出てくるだろう。

そして殺人を犯したという事実をも無視して、この未成年固有の
「可哀そうな状況」に当てはめて、「だから仕方がなかった」
という論理を振りかざすような気がしてならない。

ハッキリ言って、ダメな奴なんてどんな状況だろうが
踏み越えてはならない一線を越える。

逆に、その一線を越えない奴はほとんどの状況において
その一線を越える事は無い。

更に言えば、ほとんど大多数の人間は、その人生において
「一線を越えない」側にいるはずだ。

それなら、まずは守られなければならないのは
被害者の人権であり、被害者を抱えたその家族や友人達のはずだ。

だが、今回の事件がどうなっていくかはまだ分からないが、
過去の色々な事件を見るたびに納得いかない事がたくさんあった。

それは「加害者は不幸だった、あなたは被害者かもしれないが、
そこは我慢して、相手を受け入れて欲しい」というような考え方を
平気で被害者たちに押し付けられているような状況だ。

そして被害者は我慢して、加害者を赦し受け入れていくことが
崇高な人権思想みたいな変な考えを持っている奴が非常に多いと感じた。

つまり人権とか、未成年という金看板を掲げて
被害者に「やられ損」を受け入れろと言っているのだ。

以前に、私は過去にいじめられた経験があると書いたが、
結局はいじめにしても、ハッキリいえばそれは傷害罪や暴行強迫、
それに名誉棄損罪などが当てはまる立派な犯罪だ。

それを全部一括りにして「いじめ」と片付けてしまうから、
加害者は自分が犯罪を犯していることに気が付かない。

更に言えば、一般社会において大人が他人に暴力を振るったり
暴行や恐喝をして捕まった場合、それを周囲の人間が隠匿したり
嘘の証言をしたら、その行為自体も立派な犯罪になる。

私が見てきた学校でのいじめは、場合によっては教師はいじめを
隠したり、知らなかったフリをしたことを見たことも何度もある。

つまり、学校では犯罪やそれを幇助したり隠匿したりすることが
あっても、それが罰せられない事が往々にしてあったりする。

更に言えば、仮にいじめが露見しても「喧嘩両成敗」や
口先だけで相手が謝罪したら、「もう謝っただろ」と開き直り、
誰もそれを咎めないし、もし許さなかったら「相手は謝ったのに」
というような被害者を悪く言う奴も一定数いるから質が悪い。

そして、何故かそういう他人を貶めたり、不良として生きてきて、
いじめを平気でやってきた連中は、大人になると更生したとして
「昔悪かったけど、今は真面目」という変なレッテルを手に入れる。

ハッキリいえば、馬鹿だなと思うし、そういう連中とは
私は関わらないようにしている。

何故なら、ほとんど大多数の人間は、悪に手を染めたり
道を踏み外さないで、自制して生きてきたのだから。

そういう人間の方が、どれほど立派で真っ当なのかは
議論の余地はないだろう。

結局、そういうような環境でずっと育ってきて、
大人になってしまえば、世の中が加害者保護に動くのも
仕方がない事なのかもしれない。

昔、「成年擬制」という事を勉強した。

今はこの法律は撤廃されたみたいだ。

 

内容は、未成年で結婚などをした場合は未成年であっても
以後は成人とみなされるという法律だ。

こういう考えは、犯罪にも適用されるべきだと思う。

他人の権利を奪ったり、人権を蔑ろにした時点で
例え犯人が子供であっても、成人とみなして処罰するようにしたら
多少は犯罪の抑止にも繋がるのではないかと、私は考える。


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管理人 琴峰 一歩      プロフィール

Revtank Outtakes

現在、アラフォーの年齢になった。

10代は、いじめや人間関係に悩み、
苦しみ続ける孤独な毎日だった。

20代では、不安定な経済力や仕事で苦労し、不安な毎日を過ごした。

30代に入り、無職も経験した。
本当に人生を変えたかった。

人生を変える為に、やりたい事、 挑戦したい事は沢山あった。

ただ、それに反比例して、
どうしようもなくお金が無かった。

だから、お金を使わずにできる事。

自分自身の考え方を変えた。

まず、悩み続けた不安定な経済力、雇用関係が変わった。

次に、苦手だった人付き合いが
嘘のように活発になった。

長い間、変わらなかった現実が
突然ガラリと変わった。

今は、新しい人生の夢に向かい、
挑んでいる。

そして、それは少しづつ実現中だ。

 

 

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