職場のいじめ 嫌がらせ 逃げる?逃げない?


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職場で、もし、いじめや嫌がらせを受けた時、逃げるべきか、
それとも残って、仕事を続けるべきかを私を含め6人の人達と話したことがある。

ちょうど、意見が真っ二つに割れた。

少人数でも意見がまとまらなかった位だから、
実際にもし当事者になった場合は、逃げる逃げないは、
文字通り退職するかそれとも職場に踏み留まるかの二者択一になる。

本当に、当事者にとって、人生の死活問題で決めるのは難しいだろう。

とても悩ましい問題だと思うが、私は断固撤退
つまり逃げるべきだと主張した。


ここで、まず「逃げずに続けるべきだ」との主張をまとめてみる。

①まず、先輩や同僚、上司、職場に相談すべき。
②どこに行っても嫌な奴はいる、話し合う、逃げるな、我慢する。
③自分にも何か原因があったか考える。
④そんな事を気にするからダメ。自分が強くなること。
⑤会社や職場、相手を訴える。
⑥そんな理由で辞めても再就職が難しい。辞めるのは無責任。


それに対する、私を含む「逃げる派」の反論は以下の通りである。


①まず、先輩や同僚、上司、職場に相談すべき。

①への反論
もし相談すべき先輩や同僚、上司、職場からのいじめなら、
相談のしようがない。

そもそも、こちらが相談するまで、いじめや嫌がらせを
放置しているような職場に、当事者意識も解決能力も無い。

そもそも、職場のコンプラが機能していない可能性が大きい。

回答を待つ間も、いじめや嫌がらせによる消耗は避けられない。

よって即座に逃げる、もしくは、すぐに逃げる準備をする。



②どこに行っても嫌な奴はいる、話し合う、逃げるな、我慢する。

②への反論
確かに、そういう奴がいるのは否定はしない。

多少のイヤミや、ちょっとした意地悪は、実際にはある。

一緒に仕事をしていて、嫌な気持ちになる場合も否定はしない。

だが、いじめや嫌がらせは限度を越している。

仕事をする場所において、他人にそういう行為をするのは、
人として根本的な常識に欠けている。

実際に世間には、「話し合いで解決しない事」の方が断然多い。

そんなもので解決するなら、裁判所も法律家も警察もいらない。

常識のない奴に対して、我慢する必要がどこにあるのか?
我慢するくらいなら、逃げるべきだ。


③自分にも何か原因があったか考える。

③への反論
どんな原因があろうとも、それがいじめても良いという理屈はおかしい。

仮に、100%こちらに非があったとしても、
いじめや嫌がらせをされた段階で、相手が悪くなるという
視点が欠けている。

それこそ、②(話し合う)と矛盾する。
いじめという手段をとる前に、向こうがこちらに「話し合い」への交渉も無く、
突然、いじめや嫌がらせという実力行使に出てきた時点で終わり。

その時点で、その職場は、問題解決のための話し合いなどは
一切出来ないという証明になる。

よって、こちらも「退職」という実力行使にでても何ら問題なし。


④そんな事を気にするからダメ。自分が強くなること。

④への反論
なぜ、いじめや嫌がらせを受けて、相手に対して、
こちらが気にしないという譲歩をする必要があるのか?

その内、相手がエスカレートして、取り返しのつかない怪我や
精神的ダメージを負ったら、誰が責任を取るのか?

自分が強くなろうが、嫌なものは嫌なままである。

それで別に嫌いが好きに変わる訳ではない。


⑤会社や職場、相手を訴える。

⑤への反論
それこそ、事情を知らない第三者までを敵に回す恐れあり。

味方にならないまでも、不必要に敵は作らないに越したことは無い。

まずは、相談実績を積み上げ、話し合いでは解決できない、
職場では当事者意識も解決能力も無し、「もはやこれまで」
という、そこまでやって初めて、相手を訴えてこそ効き目がある。

最初から、「まず、こちらが取りうる手段」を放棄して
訴えるのは、得策でない。

最早、コチラが訴えるという手段をとるまで、
会社が一切何もしなかった証拠があるという構図を作り上げ上げるべき。



⑥そんな理由で辞めても再就職が難しい。辞めるのは無責任。

⑥への反論
今の世の中、コンプラやハラスメントには細心の注意を払っている。
 
いじめが理由で辞めたのを、「そんなことで」と判断するようなら、
却って、その職場もまた「いじめなど、取るに足らない些細な事」
と、思っている証拠だ。
 
そんな職場は、必ず、同種の問題が発生したときに、
見て見ぬふりをするか、無かったことにされる。
 
また、問題が明るみに出ても、「知らなかった」と言い訳される。
 
入社前にそれが分かるのは、却って幸いだ。
 
辞めるのは無責任という言葉には、到底理解できない言い分。

そもそも、こちらに非があるかどうかは別にして、
一方的にいじめや嫌がらせをしてきて、正常な業務遂行に
差し障りをきたす状況に追い込んでおいて、無責任も何もない。

相手が不当な手段でこちらを圧迫してきて、無責任はむしろ先方になる。

もし、業務に支障が出るというなら、そういう状況に対して、
何もしなかった職場と、その状況を作り出した相手が責めを負うべきだ。
 
労働力の補充など、いくらでも可能だが、こちらの人生が
取り返しがつかない事態になったら、いったい誰がどう責任が取れるのか?

自分の人生に責任があるからこそ、自分にとって相応しくない、
居るだけで気分を害する環境、つまり、その職場を辞めるのだ。

無責任という非難には当たらない。



とまあ、数時間にわたり、酒も入っていたが、喧々諤々と
議論を重ねた。

私は話しながら、ちょっと気になった事がいくつかあった。

それは、「逃げるな・続けるべき」という意見自体は、別にどうとも思わない。
なぜなら、それも一つの意見だからだ。
 
だが、そう思う根拠に何となく、いじめや嫌がらせに対して、
「こいつらは結局は他人事なんだろうな」と思ってしまった。

それは、結局いじめられてる奴でも、残ってくれたら多少の戦力にはなるが、
辞められると、自分たちに業務のしわ寄せが来るのは勘弁よ、といった、
身勝手な理屈を、責任論にすり替えているようにしか思えなかった。

だから、彼らはしきりに逃げる事に対して、「困る」を連発していたが、
何のことは無い、自分たちが困るだけの話なのだと思った。
 
別に、私はどんな仕事も卑下しないし、責任もをって業務を行いたいが、
所詮は、仕事なんて替えがきくものだ。

自分の人生は絶対に替えは利かないし、
実際に過去、いじめられながら頑張り過ぎて、重度の鬱になり、
全く日常生活を送れなくなり、何十年も苦しんだ人間も知っている。

職場に対する責任や、仕事に対する責任なんて、
こちらが安全に仕事をする権利を守ってくれる職場に対して
果たすべき事だと思っている。

するべきこと、やるべきことを何もやってくれない職場に対して、
「責任があるだろ!」と言われても「はぁ?責任?何の責任ですか?」
としか言いようがない。

「給料もらってるだろ!」という意見に対しては、
それは労働に対する対価であって、それは責任論とは
なんら関係が無い事だと思う。

私も、職場では何度かいじめられたが、私の場合は嫌になったら
些細な事でも、すぐに職場も辞めて引っ越しまで行った。
(それが良いか悪いかは別にして)
 
もし、踏みとどまって耐えても、ハッキリと事態が好転するという
裏付けや見込みがないのに、いてもしようがないと思っていた。

それに、正直、ただでさえ嫌な職場で働きたくないのに、
いじめや嫌がらせまでされて、何で我慢しなきゃならないんだと思った。

はっきり言って、世間は「いじめ」なんて言葉は、もう使わないでほしい。

「いじめ」なんて表現するから、曖昧な感じで「遊びだった」
なんていう反論が許されるのだと思う。

これが、名誉棄損、風説の流布、信用棄損罪、業務妨害罪、
共犯、幇助犯、強迫、恐喝、暴行暴力、傷害等々。

「いじめ」を、きちんと刑法上の名前、罪名で呼べば、
みんな真剣に対応するはずだ。

単なる窃盗犯を「万引き」と呼んで誤魔化すのと同様に
「いじめ」なんていう単語一つでまとめるから、話がおかしくなるのだ。

話しが、ズレてしまったが、結論として、
職場に問題があるなら、すぐさま転職するべきだと思う。

仮に、問題が自分にあるとしても、それは別の問題だからだ。

理性的な対応が出来ず、すぐに実力行使に出てくるような社員のいる職場で、
それを止める事も守ることもしない様な会社は、働くに値しない。

そんなくだらない、しょうもない連中に関わって、
心身ともに害されて、人生を潰す方がよほど損だ。

卑怯や無責任などの意見は、好きに言わせておけばよい。
そんな言葉は、彼らの勝手な責任転嫁の言い訳でしかない。
 
それよりも、一刻も早く良い職場を見つけて、
新しく仕切り直しをした方が余程、価値的だと私は思う。

繰り返すが、くだらん事をする、くだらん奴がいる、くだらん場所には
関わっちゃ駄目だ。

サクッと撤退だ!とっとと逃げろ!


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管理人 琴峰 一歩      プロフィール

Revtank Outtakes

現在、アラフォーの年齢になった。

10代は、いじめや人間関係に悩み、
苦しみ続ける孤独な毎日だった。

20代では、不安定な経済力や仕事で苦労し、不安な毎日を過ごした。

30代に入り、無職も経験した。
本当に人生を変えたかった。

人生を変える為に、やりたい事、 挑戦したい事は沢山あった。

ただ、それに反比例して、
どうしようもなくお金が無かった。

だから、お金を使わずにできる事。

自分自身の考え方を変えた。

まず、悩み続けた不安定な経済力、雇用関係が変わった。

次に、苦手だった人付き合いが
嘘のように活発になった。

長い間、変わらなかった現実が
突然ガラリと変わった。

今は、新しい人生の夢に向かい、
挑んでいる。

そして、それは少しづつ実現中だ。

 

 

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