今でも時々、耳にする自分探しという言葉がある。
今では、完全に笑い話だが、非正規で働いていた頃、
自分探しならぬ、居場所探しが好きだった。
当時は、人付き合いが大嫌いだった。
だが、だがらといって1人が好きなわけではなかった。
むしろ独りぼっちが辛かった。
こんな孤独な環境なんて嫌だと、ずっと思っていた。
中学の時、いじめに遭ってからは、「何処かにいきたい」
そんな事ばかり考えるようになった。
そうは思っても、実際に実行できる自由も、お金も無かった。
だから親元から独立した後、ついに居場所探しが始まった。
とにかく地元から離れたかった。
良い思い出なんて一つも無かったからだ。
最初は進学して、どこか遠くに行こうと思った。
だが、肝心のお金の工面が出来なかった。
だから、最初はしかたなしに自衛隊に就職した。
間違いなく衣食住が確保されているのが、本当に魅力的だった。
自衛隊を辞めた後は、職を転々とするなかで、
引っ越し人生が始まった。
引っ越し人生が始まった。
引っ越しても、引っ越しても、問題は解決しなかった。
もはや、環境が問題の原因ではないのは明白だった。
だが、環境だけは何故か、やたらと変えたがった。
誰も知らない土地で、誰も自分の事を知らない人たちに囲まれる。
そういう生活が酷く魅力的に思えた。
新天地で、失敗した人生や人間関係をやり直せると思っていた。
きっと、どこかに、そのままの自分を受け入れてくれる、
そんな場所があるはずだと思っていた。
そんな場所があるはずだと思っていた。
自分は何も改めようとも、何も変えようとしないのに・・
気が付いたら、20代の間に10回近く引越した。
解かったことは、引っ越し程度じゃ居場所は見つからない。
その事だけだった。
引越しなんかじゃ問題は解決しないと薄々は気が付いても、
それを止めることは出来なかった。
それを止めることは出来なかった。
もしかしたら、次こそは良い場所に出会えるんじゃなかという、
期待感があったからだ。
期待感があったからだ。
何の根拠も無く、そんな事を繰り返していくうちに、
どんどん孤独さは増していった。
どんどん孤独さは増していった。
孤独感が増すほど、更に新しい場所を求めるようになり、
引越しのサイクルは少しずつ早まっていった。
引越しのサイクルは少しずつ早まっていった。
そのうち、どうせ長くは住まないし、すぐに引越すからと
考えるようになった。
考えるようになった。
物事の考え方が、引っ越しすることが前提になり、
積極的に人と関わろうとしなくなった。
元々希薄な友人関係はさらに希薄になっていった。
気が付いたときには、仕事以外では、一切話をする人間が
いなくなっていた。
いなくなっていた。
孤独から逃れたくて、居場所を探していたはずだった。
だが、手に入れた現実は、孤独な世界だった。
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