ずっと一人で生きてきた人生だった。
人生の良いことも悪いことも、
色んな事を分かち合う家族も友達もいなかった。
すべてを一人で抱え込み、ずっと孤独に生きてきた。
何をやっても上手くいかず、どう足掻いても環境は変わらなかった。
いつしか「人生なんて、そんなもんだ」と、諦めて生きてきた。
ある日、ずっと変わらなかった人生が変わり始めた。
その変化は、初めは小さな動きだった。
だが、いったん変わり始めると、ドンドン変化の速度を増していき、
数年も経つと、全く違う人生、全く異なる環境になっていた。
今は、休日になると、大抵は誰かに誘われて外出することが増えた。
人と話すことが大嫌いだったのに、行く先々で人と関わる続け、
人と喋ってばかりいるようになった。
どのような環境の変化かというと
企業経営者ばかり集まる私的なサークルに出入りするようになり、
最低でも、一回数万円以上する茶事や食事会に行くようになったり、
普段は一般公開していないような神社仏閣に招待されて、
季節ごとの景色や風景を楽しんだり、夜桜や紅葉のライトアップを楽しんだり、
出発の2,3日まえに突然に誘われて国内外の旅行に行ったり、
入会するだけで百万単位の入会金が必要なグループに、
僅か数万円の負担で参加できるようになったり、
そういった普段とは違う世界の人間と付き合うようになり、
色々なイベントや集まりに常に誘われるようになった。
個人的にも、趣味などにお金をかけられるようになり、
それ以外にも、急に思い立って車やバイクで適当に旅行したり、
休暇を取ってしばらく何もせず、一日中のんびりしたりと
それなりに、好きなことが出来るようになった。
給料も、経済的に不安定だった頃に比べたら、
約3倍近く収入が増えた。
思い通りにならない人生や現状に、愚痴や文句ばかり言っている時は、
何一つ人生は変わることは無かった。
常に思うにままならぬ現実を、環境や誰かのせいにして、
犯人探しに躍起になっている間は、幸せなんか感じなかった。
具体的に人生を変えるための努力なんて一切せず、
言い訳に終始し、自己満足の努力しかやらなかった。
そのくせ、口では「人生を変えたい」と言っていた。
いや、言うだけだった。
すべてを他人の所為にし続けた挙句、
何も自分の人生を振り返ることをせずにきた結果、
仕事も何もかも失くし、引きこもりになった。
だが、この引きこもりがあったからこそ、数年で人生が変わり、
それまでとは真逆の人生が始まり、今は本当に充実した生活が
出来るようになった。
30代まで、人生 失敗続きの連続だった
ハッキリ言って、今現在の生活環境を手に入れるまで
本当に色々な事があった。
社会人として、せっかく入社した会社も、
いじめに遭い退職してしまったり…
人付き合いが苦手なため、人間関係が構築できずに
仕事や住まいを転々と変えたり…
とにかく何かをやろうとしたり、努力し始めると
必ず障害や問題が起こり、物事を完遂することが出来なかった。
結果、長い間苦しみ続ける事になったが。
その間、色々な事に悩みながら、何とかそれを解決しようとして
勉強してきたことは、後々になって本当に役に立った。
そして過去を振り返り、今まで人生で起こってきた事柄を
一つ一つ思い返してみると、自分にとって全部必要な経験だった。
だからと言って、思い出したくない事もたくさんあるし、
再度経験したいことなど一つも無い。
出来れば、そういう過去に触れずに、遠い昔の事として忘れ、
今を楽しく生きていく事も出来なくはない。
でも、もしここで、自分の過去の失敗や悩み、苦しんだ経験を
文字にする事で、それを読んだ他の誰かの悩みの解決に繋がれば、
それは間接的に、私の過去の出来事は無駄ではなかった事になる。
だからといって、ブログで全てを開陳するのはどうかとも思う。
興味本位や面白半分な人にまで、過去の汚点を曝す気はない。
だから、自分も人生を変えてみたいと本気で考える人に、
私は自分の経験をお伝え出来ればと思っている。
30代で経験した、逆転からの2つの出来事
30代、経験なし スキルなし 資格なしで正社員になる
30代になってから1年近い引きこもりを経験した後、
最初は簡単なアルバイトから再出発した。
上手く働けるだろうかと、不安になったが意外とアッサリと
再出発が出来た。
すると、人間欲深いもので、すぐに働く時間が短いのが気になった。
ここで、時間的に余裕があるため、もう一つのアルバイトを
掛け持ちするようになった。
選んだのは、苦手な職種、やりたくない仕事だった。
あえて、行くまでも無いような世界に自ら行くことによって、
付き合う人間がガラリと変わった。
未知の世界に飛び込むことで、
ここから人付き合いが少しずつ改善していった。
ある日、このアルバイトを通じて新しく知り合った知人から、
正社員募集の企業があることを聞いた。
今までの私なら、ほぼ話を聞いた段階で拒否して終わりだった。
自分の感情のままに言えば、いくら正社員になれたとしても
やりたくない様な仕事だった。
だからこそ、あえて挑戦したことで正社員になることが出来た。
ちょうど、引きこもりから脱して3年が経過し、
30代半ばになっていた。
30代、元引きこもり 家を買う
当初は、家なんか買うつもりは全くなかった。
だが、実際に家を買った1年程前から、色々な方面から
家を買う時のコツを聞くようになった。
話を聞いてみると、目から鱗がおちるような「え!そうなの?」
というような視点が多く、聞いているうちに、何となく
「私でも、もしかしたら!?」と思うようになっていた。
そうなると、人間勝手なもので「いつかは家を買っても良いかな」
と、考えるようになっていた。
だが、数年前まで引きこもって人生に絶望していたのだ。
そうはいっても、家を買うなんて、
実際は、まだまだ夢物語のような気がしていた。
でも、ひょんなことから家を買う話が舞い込み、
トントン拍子に話は進み、内覧から1ケ月ほどであっという間に
家を買ってしまった。
この家を買う時のコツというか視点は、会社の同僚や
友人に話したところ、その後、実際に家を買った人から
購入に際して本当に参考になったと、とても喜ばれた。
人間関係の失敗が、全ての失敗の元凶だった
今、それなりに名前の通った企業に勤め、生活も改善され
家も購入し、周囲にはいつも気の合う仲間で溢れている。
傍から見ている人や、表面上の部分だけを見て、
褒められたり、羨ましがられたりする。
実際に付き合いのある、友人達や仲間たちからも、
「ずっと話をしていたい」とか「人付き合いのコツを教えて」など
言われ、相談されることも多い。
だが、実際は違うのだ。
全然人付き合いなんて上手くなかったし、人間関係の構築に
常に失敗し続けて、ずっと独りぼっちだったのだ。
余りの実情と周囲の評価のギャップに、一度言ったことがある。
「実は、人付き合いが苦手で、喋るの嫌いだったし、
ずっと独りぼっちだったんだ」と。
みんな笑って、誰も信じてもらえなかった。
だが、勘違いされるほどに人間関係の構築も、
それに伴う人付き合いも、今現在は上手くいっているのは、
実は子供の頃から苦労し続けた、人間関係の失敗があったからだ。
私の親は、子供を、自分の見栄や欲求を満たす為の道具や、
アクセサリーか何かと勘違いしているような親だった。
少しでも親の意にそぐわなかったら、もう容赦なかった。
だから、まともな親子関係など築けなかった。
私自身、子供の頃から周囲となじめず、常に問題児扱いされてきた。
「何でみんなと一緒に出来ないの?」「なんで君だけ違うの?」
そんな言葉と共に、容赦なく周囲は私に同調圧力をかけてきた。
小学校の頃は、それでもまだマシだった。
中学に入ると、今度はいじめを受けるようになった。
酷い暴力こそ無かったが、軽く小突かれたり無視や嫌がらせ、
悪評や悪口など、精神的に堪えるようないじめを受け続けた。
この事が切っ掛けで、家でも学校でも居場所は無くなった。
いじめを受けたことで、本当に人が嫌いになった。
誰かと関わって嫌な思いをするなら、一人の方がマシだった。
いつも他人との距離感が分からず、つねに段々と周りと距離が出来、
いつの間にか孤独になっていった。
一度失敗した人間関係の構築は、高校になっても変わらなかった。
高校を卒業後、経済的理由で大学進学が出来ずに就職した。
就職先でも、やはり人間関係に苦しみ、人付き合いに難儀した。
もうこの頃は、極力自分からは他人と接触しないようにし続けたが、
私の態度が気に入らないと、先輩達から入院するほどリンチされ、
それが元で、結局職場を退職した。
その後も、行く先々の職場で常に人間関係に苦しみ、
別の職場でも嫌がらせや、いじめ、パワハラを受けて
退職してしまった。
それから先も、ずっと人間関係に苦しみ続け、
何かあるとすぐに職場を辞め、理想の環境を求めて
引っ越しを繰り返すようになった。
だが、どこに行っても同じことの繰り返しで、
必ず人間関係がボトルネックになり続けた。
そして引越しを繰り返すごとに、どんどん孤独が増していき、
最後は誰も周りに人はいなくなってしまった。
30代に入る頃には、度重なる転職と引っ越しで、
仕事に対する経験も、スキルも、資格さえない状態で
最後は契約解除で仕事を失ってしまった。
そして全てが嫌になり、引きこもってしまった。
仮にもし、どこかのタイミングで
何かしらの人間関係の構築に成功していたらと考えてみた。
親との関係が上手くいっていたら?
中学の時にいじめに遭わず、人が嫌いにならなかったら?
職場での人間関係が成功し、いじめやパワハラに遭わなかったら?
その時々で、自分がいる場所で周囲と上手く付き合えていたら?
恐らく、今とは全く違う人生になっていただろう。
とにかく失敗が多い人生だったが、あらゆる失敗の根本原因を
探っていくと、どうしても人間関係の失敗に行きつくのだった。
つまり、逆に考えれば人間関係の成否こそが、人生を左右する
一大問題だという事に、身をもって知ることが出来た。
もう 人間関係の構築で努力することは止めた
子供の頃からずっと苦手だった人間関係を改善し、
人付き合いを活発にしたかった。
このことは、ずっと自分の中のコンプレックスとして
存在していた。
だからハウツー本を読み漁ったり、落語を聞いてみたり
有名司会者の真似を一人、部屋で真似をしたり
色々と昔から努力をしたが、ダメだった。
20代の頃、一時期は全く違う人間を演じる事で、
何度か充実した人間関係を構築し、人付き合いが
活発になった頃があった。
ただ、これも本来の素の自分とは違うから、
どこかの時点で必ず無理が生じて破綻を繰り返した。
理想の人間関係を構築しいたから努力したのに、
却ってそれが失敗の原因になっている事を、
小さなプライドが邪魔して、長い間それを認められなかった。
だから、引きこもりから脱した後、
今度は思い切って、人間関係の構築で努力することを止めた。
ハウツー本も全て捨て、そのままの自分自身で勝負することにした。
ただ、努力しない代わりに、自分の中での人付き合いのルールを
幾つか決め、それを守り続ける事にした。
今まで、ずっと長い間、人間関係も碌に築けず
いつも独りぼっちの自分は価値が無いダメな奴だと思っていた。
だが、結局、その考え方を持っていても幸せになんてなれなかった。
むしろ、常に自分が周りから精神的に追い詰められるような
焦燥感しかなかった。
だから、もう人付き合いが上手いから良いとか、
ダメだから悪いとか、勝った負けたというような勝負観は捨てた。
結局はそういうスタンスが、くだらない見栄や勝負観を捨てて、
何もしなかった結果、はるかに短い期間で状況が好転した。
今まで無かったような良い状況へと、少しずつ人間関係は変わった。
それは、色々なチャンスが舞い込むような人間関係へと発展し、
やがて私のもとへ正社員登用の話が舞い込むに至った。
清水の舞台から飛び込んだ 新しい世界
引きこもりを脱してから、自分を取り巻く人間関係は
少しづつ良い方向へと変わっていった。
だが非正規から正社員に変わって、劇的に収入が増えた時のように、
目に見えての変化というのは無かった。
だが振り返ってみると、確かに変わってきているのは実感が出来た。
それが急に変わりだしだのは、私自身が些細な切っ掛けから
全く違う世界の人間と知り合った事だった。
自分一人だけの力や意志だけでは、限界があった変化も、
全く新しい人間関係に触れあう事で、こうも劇的に変わるものかと
思うほどに、激しい変化だった。
ある日、今では、自分の師匠となった1人の年配者と
偶然知り合う機会があった。
その人は、伝統芸能の世界で長らく生きてこられた方だった。
私は昔から好奇心旺盛で、一度何かが気になると
関連本など読み漁ったりして色々な知識だけは持っていた。
一時期、伝統芸能全般に興味があったから、
蓄えた知識でその年配者と話が盛り上がった。
そして最後に名刺を交換して別れた。
それから一週間ほどして、その人から毎日のように
会社に電話が架かってくるようになった。
その方と何度も話をするうちに、遂に弟子にならないかと
誘われるようになった。
正直、全く関わりのない世界に入っていくだけの根性は
あいにく持ち合わせていたなかった。
でも何度も話を聞くうち、自分の中でドンドン興味が増していった。
正直、もうここら辺で、本気で人生を変えてみたかった。
だから、「もしかしたら、これが人生を変える程の
何かがあるかもしれない」
といった漠然とした期待感があった。
しかし、そう考えれば考える程、今までの自分の人生を振り返ると、
気後れしたし「場違いだ」と思うほどに隔絶した世界だった。
それに、もう一つ不安があった。
長い間、努力しても表面的な人間関係しか構築できなかった奴が、
師弟関係なんていうような、恐らく最も濃いであろう人間関係を
いきなり飛び込んでも無理だろうという懸念だった。
そいういった、色々な感情が心の中を渦巻き
「やってみたい」と「やめておこう」の気持ちが交錯し続けた。
だが、あまりに熱心に奨められ続け、最後は断るつもりで相手に
自分の今までの人生を掻い摘んで話した。
その方は黙って私の話を聞いた後、こう言ってきた。
「今の話をきいて、なおさら君を弟子にしたくなった」と。
自分をさらけ出しても、それでも受け入れてくれたことで、
私は清水の舞台から飛び降りるつもりで、その人に弟子入りした。
ここから、師匠を中心に関わる人間がガラリと変わり、
生活全般に至るまで、今までの人生とは全く変わってしまった。
当たり前になった 非日常の世界
弟子入りしてから、師匠は私が人づきあいが苦手だという事を
本当に心配し、改善できるようにと心を砕いてくれた。
最初に師匠に言われたことは、
「まずは、君は人に慣れなきゃだめだ」
「ちょっと人生成功した奴なんて、君と一緒だ、何ら変わらない。
見た目や立場で気後れ知れるようじゃ駄目だ」
「これから新弟子として君を周りに紹介していくからな」
その言葉通り、師匠に連れられて、会社が休みのたびに
色々な場所に連れていかれるようになった。
実に様々なジャンルの人間に会わせてもらえるようになった。
最初は、とにかく恥ずかしくて、何となく自分だけ常に
場違いなところにいるような気がして、とても居心地が悪かった。
そんな私の気持ちもお構いなしに、
今まで行った事も見たことも無いような場所へと、
行くことが増えていった。
師匠にちょっと食事に行こうと言われてお供すると
テレビに出てくるような高級料亭に連れていかれ、
そこで師匠の友人や知人、支援者を紹介されたりした。
「今日は、ちょっとした集まりがあるから行こうか」と言われたら、
ホテルの宴会場でパーティーだったりすることもあった。
宴会も何の集まりだが分からないままに、
「あぁ!新しいお弟子さんね」などと声を掛けられては
名刺を頂いたりした。
そんな事を繰り返しているうち、段々と「師匠のお弟子さん」から
「琴峰さん」と、いうように、私個人でお誘いをうけたり、
師匠とは別に友人としてお付き合いが始まったりするようになった。
もちろん、どんな時でも師匠と一緒には変わりないが、
何かの折に触れては、個別に招待状が届くなど、
周りに認知されるようになっていった。
そして、所謂「成功者」と言われているような人たちと
普通に付き合うようになって気が付いたことがあった。
それは、本当に極「普通」の人たちだった。
ただ、そういう人たちに共通していることがあり、
とにかく考え方が前向きだったり、性格が明るかった。
それまで、私は「成功者」というのは、環境に恵まれてきて、
人生で負けたことが無い奴ばかりだと思い込んでいた。
だが、実際は、みんな他人よりも酷い失敗を重ねたり、
ここでは書けないような苦労をし続けてきたりと、
イメージと全然違う事が分かった。
自分の師匠も、実は様々な苦労をし続けて、
今の立場にいる事もずっと後になってから分かった。
周囲と親しくなるにしたがって、「琴ちゃん」とか「いっぽ君」
などと呼ばれるようになり、自然と少しずつ自分の事を
話す人も幾人か増えていった。
すると、決まって言われる。
「そりゃ琴ちゃん、そういう経験は人に話した方が良いよ!」
「話すことで、琴ちゃんの経験が相手の人生の中で活かされるでしょ?」
そんな事を言われたことも、
このブログを書く切っ掛けの一つになった。
今では、休みのたびに誰かしらの気の合う仲間からの
誘いが来るようになった。
彼らと出かける先と言えば、色々な寺院で茶事や茶会に出たり、
観劇や旅行に出かけるなどするようになった。
今では、日常的に、非日常の世界を体験できるような
人生に変わってしまった。
独りぼっちで生きてきた頃に見ていた日常の景色は、
一人で見ていた校舎の屋上からの町の景色だった。
引きこもっていた頃、見ていた日常の景色は、
汚く狭い部屋と、薄汚れた天井だった。
いまは、それとは違う。
だが、かつて苦しい景色、寂しい景色を見た経験があったからこそ、
今、全く違う景色を見れるようになった。
そして、それはこれからもきっと続いていくと思う。