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琴峰ってどんな奴?

 

  

「なんか変わってるね」「何か、みんなと違くない?」
そう言われることが、長い間、本当に苦痛だった。

いつも「違い」や「個性」を口にしながら、本心は「一緒・同じ」
という価値観を押し付けてくる周囲の同調圧力が耐えられなかった。

だから、人との関わりあいを極力避けた。
傷つきたくなかったからだ。

ずっと仲間はずれが当たり前で、独りぼっちの孤独だった人生、
失敗続きで底辺と言われた人生、
それが今は180度、ガラリと変わってしまった。
 
「人と違う見方するよね、」「その発想が面白い」
 
むかしは、大嫌いだった言葉が、自分にとって最大賛辞の言葉へと、
受け取り方は変わってしまった。

人と違う事が嫌だったのに、人と違う事が、
逆に人生を豊かにし、楽しい時間を過ごせることが増えた。

人に会う事が楽しいと思えるようになった。

なぜなら、自分と違うから。

違うという事は、新しい何かを知るという楽しさだった。
人と会う事が楽しいと思えるように変わった。

とにかく、昔から良い意味でも、悪い意味でも
常に変わっていると言われ続けてきた。

そんな事を、いくつかザックリと
プロフィールとは別に、書いてみた。
 
 

ひょんなことから弟子入り!伝統芸能の世界。

 
 
時々、思い切った決断をするとき、昔から言われている言葉がある。
「清水の舞台から飛び降りる」と。
 
自分にとっての清水の舞台、それは伝統芸能の世界に
弟子入りした事だった。
 
 
まさか、自分の人生の中で、いかなる想像力を働かせても
伝統芸能の世界に関わるようになるなんて、思いもよらなかった。
 
 
そんな設定があったなんて、人生なんてわからないものだ。
 
 
確かに、ずっと人間関係に苦しみ続けて、改善したいと考えて
ハウツー本を読み漁り、可能な限り努力した。
 
でも結局、長い間、友達なんて呼べる奴はほとんどいなかった。
 
きっと、友達がたくさんいたら、もっと違った人生だったろう。
そう思う事は何度もあった。
 
 
結局、行きつく先は、上っ面だけの当たり障りない人間関係の構築、
ここまでが精いっぱいだった。
 
 
そんな希薄な関係性しか築けないボッチ野郎が、ある日突然、
何をトチ狂ったのか、飛び込んだのが伝統芸能の世界だった。
 
 
そもそも人が大嫌い、最後は引きこもりまで経験した。
 
 
そんな奴が、ひょんなことから師匠に弟子入りし、
人間関係の濃さでいえば、いきなりレベルMAXの状態だ。
 
 
人を殴ったことも無いような人間が、突然リングに乱入し、
ヘビー級のチャンプに喧嘩を売るようなもんだ。
 
 
何考えてるんだよ、自分!!って本気で思った。
 
 
でも、苦手な人付き合いを克服したかった。
 
突拍子もない行動をとってやろう・・不意にそう思った。
その答えが、弟子入りだった。
 
 
エイヤー!と思い切って飛び込んでみると、
そこは想像の埒外だった。
 
大変だったし、辞めたいと思ったり、後悔したことも何度もあった。
でも、結果的には、それが良かった。
 
 
飛び込む前にいた世界、それは常に自分と周囲を比較し続け、
劣等感を感じるだけの、辛く苦しい場所だった。
 
新しい世界では、周り全てが、最初から最後まで違い過ぎて
比較の対象にすら、ならなかった。
 
 
だから、自分と周りを比べて悩むことも苦しむことも無かった。
 
比較することも無くなった時、背伸びもせず素直になれた。
 
 
自分を軽んじて、貶め続けた救いようのない劣等感は、
もっと自分自身を大切にしようという気持ちに変わった。
 
今まで、ずっと足らないと思って悩み続けた弱点や欠点は、
まだまだ成長できる可能性がある美点へと見方が変わった。
 
 
全く知らない世界、全く関わる事なんて無かった人たち。
 
そんな人たちと経験する事の全てが、環境全てを変えていった。
 
いつの間にか、人間関係も、人付き合いも、全ては変わった。
 
 

メチャくちゃ苦手なこと? それは自分の昔話

 

「そういえば、昔(学生時代)ってどうだったの?」
 
そう聞かれることが、昔から対応に困る事の苦手のひとつだ。
 
時々、会社の飲み会などで、酔いが回ってくると
必ず言い出す奴がいる。
 
 
ハッキリ言って、未だに聞かれても上手く答えることは出来ない。
 
 
以前は、変に、馬鹿正直に答えてしまうような不器用さで、
誤魔化すことが上手くできなかった。
 
自分の過去が許せない気持ちもあったし、誤魔化すことが
何となく悪いような気持ちを持っていた。

だからと言って、消し去りたいと思っているような負の記憶を
今更そこで、みんなが楽しく話している時に開陳できるはずも無かった。

そこで、つい何となく小さなウソをつき続けてしまい、
結果として、後でつじつまが合わなくなって自分が困ったことが多かった。
 
それが、嫌で、突っ込んだ人付き合いを避けてきた部分もあった。
 
今は、上手に誤魔化すというか、切り抜けるすべを覚えた。(笑)
 
多分、自分を許すことで、辛い出来事の一つ一つが、
過去の思い出になったからだろう。
 
「さあ、どうだったか・・それなりだったんじゃないかなぁ」
そうやって、軽く流せるようになった。
 
 
 
中学の頃は、いじめられてから、良い思い出なんて一つも無かった。
高校に入ると、金が無くて、夜に水商売をして学費を払った。
 
金貯めたくて自衛隊に行ったけど、リンチされて途中でやめた。
 
大学進学時には、金が無かったから、社会人になってから、
数年たって、通信制の大学を卒業した。
 
ずっと非正規で、最後は無職になってショックで引きこもってた。
 
 
 
こんな話をしたって、ドン引きされるだけだ。
 
 
以前に、まだバイト時代の頃、開き直って一回だけ話した事がある。
 
シーンっと飲み屋のカウンターの時間が止まってしまった(笑)

だから、なるべく、今は当たり障りないようにしている。

一番多いのは大学の話だが、単に卒業資格を取得しただけだ。
大学なんて、時々スクーリングで行くだけだった。
 
 
サークルとか、キャンパスライフなんて無縁の生活だった。(笑)
 

そんな生活だったから、今振り返っても、どの部分を切り取っても、
皆が経験してきたような事や、酒のつまみに話すようなことも、
全く知らないまま、全ての学校は卒業してしまった。(笑)
 
 
こんな学校生活だった。(笑)
 
だから以前は、触れられることすら嫌で仕方がなかった。

別に、酒の席で、ことさら不幸話として話すつもりもない。
 
 
下手に話して、したり顔でわかった顔をされたり、
変に同情されることで、逆に汚される様な気がした。
 
だから今は、、過去の色々な思い出は、不用意に話すことじゃなく、
大切にしたくなった。
 
 
今は、どうやって切り抜けようかと、逆に楽しんでいる。
でも、そんなに昔話するほど、年寄りでもないんだけどな・・
 
 

スキルも無ぇ!資格も無ぇ!だけど正社員

 

それなりの規模、それなりのネームバリュの会社に、勤めている。
 
もちろん詳しく話さないが、時々、雑談交じりに取引先や営業先で、
軽く自分の経歴を話す機会がある。
 
 
「何もしない時(引きこもり)もありましたが、数年バイトした後、
30代半ばで、未経験でしたが今の職種で、正社員で入りました」
 
 
そういうと、必ずといってよい程、訊かれることがある。
 
「何か資格とか持っていたんですか?」と。

その場合には、必ずこう答える。
「いや、自分が嫌いだと思う選択を、し続けただけですよ」と。
 
 
「転職や、高年齢での就職は、スキルや資格が無いと無理だ」と、
思っている人はかなり多い。
 
私も、長い間、ずっとそう思って生きてきた。
 
 
だが、ちょっとだけ視点を変えてみると、実はスキルや資格は
さほど重要じゃない場合だって、多々ある。
 
 
それが必要な職種は、元々がスキルや資格が無いと作業や業務を
行うことが出来ない専門職だけだ。
 
 
世の中、専門職の割合の方が、はるかに少ない。
 
 
むしろ、逆にスキルや資格が就職の邪魔になる場合だってある。
 
なぜなら、経験職も含め、常に、持っているスキルや
資格以外の業界に目を向けなくなるからだ。
 
 
つまり、もし目の前に就職や転職のチャンスが来ても、
別業界、未経験という理由だけで、見過ごす場合があるという事だ。

分かりやすく言えば、自分の好きな職種や、やりたい職種、慣れた業界、
それ以外の求人欄なんて、最初から見向きもしないという事だ。
 
人は、漠然とした不安定さや、曖昧な状態を嫌がる傾向がある。
何かにしろ、理由や意味を付けたがる。
 
 
非正規が嫌がられることの一つに、いつまで働けるかという
不確実性があるからだと思っている。
 
 
でも、それは正社員であっても、そうそう変わらないというのが、
最近の偽らざる気持ちだ。
 
非正規より、多少は安定性が高いというだけだ。
 
 
まあ、話は多少逸れてしまったが・・
 
就職や転職の可否なんて、試験の点数の結果で決まるもの以外は
結局、最後に採用の合否を決めるのは人間だ。
 
 
故に、常に結果なんてものは相対的なものだ。
 
 
相対的という曖昧さ故に、もしスキルがあったら、とか
もし資格を持っていたら、という感情が入り込む余地が生まれる。
 
 
だから、いつの時代も資格試験や試験対策の専門学校が流行る。
 
スキルや資格に目を奪われていた頃は、就職なんて出来なかった。
 
そこから離れた時、初めてチャンスに気が付くことが出来た。
 
 

人付き合い、それは超苦手のはずだったのに・・・

 
 

「琴峰さん!明後日の週末に温泉に行きませんか?」

狂言の会で知り合ったKさんのお誘いは、何時だって突然だ。

まあ、ゆっくりするつもりで、今度の週末の予定は
特に入れていなかった。

都合は悪くない、でも何となく気が進まなかった。
行きたくないなと考えた。

「わかった、行きましょう! どこに何時に集合するの?」

私はすぐにKさんに返事をした。

「嫌だなと思ったら、出来るだけ逆に考えて行動する」

自分自身でそういうスタイルというか、ルールを決めて、
ここ10年は、そうやって行動してきた。

思った事、考えた事と真逆の行動を取り続けた結果、
いつの間にか、見える世界は180度変わった。

変わる前の世界は、ずっと一人で孤独だった。

孤独は嫌いなはずなのに、いつも物事の選択は、
なぜか一人ぼっちの世界ばかりを選んでいた。

元々、人の誘いなんて、不貞腐れて初めっから断るような奴だった。

そのくせ、誘われないと酷く傷ついた。

「どうせ、自分なんて・・」そう思って勝手に拗ねていた。

「人付き合いとか、ウザいだけ!」そう思いながら、
変に格好をつけて生きてきた。

ハッキリって、今だって心の底では変わってない。

相変わらず、心の中では面倒くさい自分が、常に息づいている。

人間なんて、そうそう変われるもんじゃない。

だが、私の思いとは関係なく、現実は変わってしまった。

環境が変わり、人間関係が変わり、生活が変わってしまった。

 

野良犬みたいに寂しいけど、自由気儘な人生を送ってきたくせに、
いつの間にか、他人との関わり無しには生活が出来なくなっていた。

部屋に引きこもっていた頃は、いつか孤独死すると思っていた。

誰かと楽しく時間を過ごすなんて、自分には絶対に無理だと
思い込んでいた。

いつの間にか、周りに人がいる環境になり、伝統芸能の世界に入り、

師弟なんて濃い人間関係のなかで生活している自分を振り返ると、
ウソなんじゃないかと思う事もある。

もうやめた!明日から全部やめて、また一人気儘にやろう!

そう思っても、何故かやっぱり人と関わるようになってしまう。

人が嫌いだったはずなのに、人付き合いが超苦手だったのに。

おかしな話だ。

自分でもそう思っている。

時々、不意に昔の事を思い出し、ボーっとしてしまう事がある。

特に、今みたいに誰かから楽しい誘いを受けた時だ。

その間も、Kさんは、電話口でずっと喋っていた。

「琴峰さん!聞いてるの?」
「いや~、新緑がきれいな時期だから、車なんかじゃ勿体ない!
出来れば、単車で温泉に行きましょう!」

マシンガンの連射のように、Kさんは話が途切れない。

不意に、我に返って、ついつい毒気づいてしまう。

「Kさん~。あなた、何時も急だよね~」

口では文句を言いながら、嫌だと思いながら、

それでもニコニコしている自分がいる。

もう、行くと返事をしてしまった以上、温泉には行く。

電話を切った後、「めんどくせーな」、つい口に出すが、
本当のところは、嬉しくてしようがないのだ。

急いで準備を整えて、週末に単車を走らせた。

来て良かったと思える、素晴らしい新緑の眺めだった。

 

「Kさん!今度はさ、紅葉の時期に、もう一回来ようよ!」

いつの間にか、今度は自分が誘っていた。

「めんどくせーな~」と、ウキウキしながら。



 

天邪鬼な性格?

 

何も考えないで行動したわけじゃなかった。
 
 
いつも、死ぬほど考えて行動してきたはずなのに、
何故か、物事が上手く運ばなかった。
 
 
どうして、こうなった?
 

これが、引きこもるようになって、
最初に考えたことだった。

結局、全ては自分の考え方に原因があった。

自分の生き様が、そのまま思考になっていた。
 

ここを変えない事には、何をやっても同じだと思った。
 
 
だが考える程に、今更、自分を変える事なんかできなかった。

性格改善や自己啓発の本なんて、いくら読んでも他人事だった。
 
「どうせ私には出来ないよ!」
そんな読後感想しかなかった。
 
出来ない努力はというより、もう努力その物を
これ以上したくなかった。
 
 
そのくせ、今、自分にいったい何が出来るのかと、
努力以外に方法はないかと、そればかり考え続けた。
 

「こうしたら・・」「ああしたら・・」と思い浮かぶ思考と、
真逆の考え方をしたら、どうなるんだろうと思うようになった。

これなら、無理して自分を変える必要も無いと思った。
 

思考はそのままに、浮かんだ行動イメージを逆に考えるようにした。
 

「明日やろう」・・今、明日やろうって思ったから、
逆に今やろうって、考え方に変えてみよう・・
 
「これは止めておいた方がいいな・・」
「よし、じゃあ、逆に止めない方向に考えてみるか・・・」


「なんだ、簡単じゃないか!要は天邪鬼になれば良いんだよ!」

気持ちがとても楽になり、、自然に行動に移してみようと思った。

環境は急に変わり始めた。
 
 

弱点克服? いたしません!

 
 
昔、何をやっても上手くいかなかった頃、
 
自分の短所はすぐに答えることが出来ても、
長所はすぐに答えることは出来なかった。

いつも短所を克服したかった。

でも、努力するほどに、よけい短所ばかりが目につき、
自分の事が大嫌いだった。

そして、長所・短所といっても、実は考えていたのは
自分自身の好きな部分が長所であって、自分自身が嫌いな面、
それを短所と考えていた。

好き=長所でと捉え、嫌い=短所と捉えていた訳だ。

少なとも、私自身はそう思っていた。
 

だから、自分自身が嫌いだったころは、短所は言えても長所を
言えるわけが無かった。

なぜなら、自分自身が嫌いだったのだから。
 

自分の存在そのものが、短所の塊だと思っていた。
 
 
こんな考えの間は、努力したって人生なんて変わらなかった。
 

引きこもった時、考える時間は、無限にあった。

だから、世間一般で言われるような長所、短所を考えた。

散々考えて、自分なりの答えがでた。
 
では。一言で、長所・短所は何だ?と問われれば、「傾向性」だと、
私自身は思っている。

例えば、何かを選択、選別するとき、中々決められない。
これをもって、短所と捉えるとする。
 

その「物事の決定時における優柔不断」という傾向性の人間が、
例え話が合っているかは別にして、デイトレーダーのような
即断即決の旨とするような職業が向いているかといえば、
それは確実に向いていないと思う。
 

だからといって、仮にその人が、その世界で大失敗したとしても、
それが即、その人の全人格が駄目だというのとは話が違う。
 

もう傾向性というのは、なかなか治らないと思う。
 

それなら、「優柔不断」という傾向性を治す努力をするよりも、
判断に際し、熟考、慎重を求められる職場に移った方が早いわけだ。
 

つまり、何が言いたいかといえば、長所・短所というのは
この世に無限に存在するフィールド(戦う世界)において、
一番求められる能力、嫌がられる能力が長所・短所という訳だ。

世界が変われば、求められる能力なんて、どうにでも変わる。
 

ジャンケンと一緒だ。
 
グーの世界にチョキが殴り込みをかけても、連戦連敗。
絶対に勝てない。

でも、負け続けたからって、「チョキって最悪だよ!」
とはならない。
 

最悪なのは、勝負に勝てないチョキの能力ではなく、
能力が発揮できない、勝てない環境に居続けるという判断だ。
 

それなら、チョキはチョキのまま、無理にパーにならずに
パーの世界にフィールドを移せばよいだけだ。
 

誰もチョキというあなたに、敵う奴は存在しない。
 

長所・短所なんて、そんなものは絶対評価ではなく、
単に相対的な評価の一つに過ぎない。
 
 
短所は長所になるし、長所は短所になる。
 

だから変えるべきは、性格や傾向性ではなく、環境や考え方だ。

負け続けたことで、それを学べた。
 
 

いつまでも夢見る夢子

 
 
子供の頃に持っていた夢や希望は、年齢を重ねるたびに
萎み、消えていった。
 
「もう遅いよ」
 
そう自分に言い聞かせて、色々なことを諦め続けた。

何かを諦めたり、夢や希望を無くすことで、
人は初めて、大人になるのだと思っていた。

子供だけが、夢を見ることが出来ると思っていた。
 
 
人生に失敗し続けた頃、何かに挫折するたびに、同じことを考えた。
 
「あぁ・・もしあと5年、いや3年若ければ、もう一回・・」

10代の頃からいつも思っていた。
 
 
もう15歳だし、人生失敗確定だ!せめて10歳だったら・・・
もう20歳だし、失敗した・・・せめて15歳だったら・・
もう30歳だし、どうにもならん!せめて20歳だったら・・・
 
 
いつもいつも、「もう、やり直すには遅すぎた・・・」
そう思っていた。
 
 
そんな事を繰り返すうちに、不意に思うときがあった。
 
「あれ?いつも、あと何年若かったらって考えてる?
おかしいぞ?」と。
 
 
今、何歳だから無理だって考えても、数年たったら今の年齢が
若く思えるんだったら、何時だって何かを変えたり、
人生をやり直すことなんて出来るはず、遅いなんてありえない。」
 
そう考えるようになった。
 

何歳になろうと、夢なんていつだって持っても構わないはずだ。
 

きっと、もう今となっては、遅いかもって考えている事だって、
50歳になったとき、あと何年早かったら!って思うかもしれない。

そんな事は、絶対に考えたくもなかった。
 

逆張り思考が当たり前になった今でさえ、考えることがある。

それは、「今更、この歳で、そんな夢なんか持っちゃダメなんだ」
という考えだ。
 

だから逆に、ガンガン夢や希望を考えるようになった。
だって、逆張り思考なんだから。
 

とりあえずは、当面の目標は50歳になったとき、
新しい人生のステージに立っている事だ。

どんな夢かは秘密だが。
 
 
 
 

せっかち万歳‼

 

全て、失敗続きだった頃、何かにチャレンジすることが
心底怖くなっていた。
 

今までなら、簡単に決められた事も、迷うようになっていった。
 

そして、何かにつけ「ちょっと待てよ?」考え出して
更に、決断出来なくなっていった。
 

散々考えて、決断しても、いざ実行に移す時になると、尻込みした。
もし失敗したらと考えると、気持ちが萎えてしまった。

散々迷ってグズグズしていた結果、
気が付いたら時機を逸してしまうような事も多かった。
 

成功を意識するあまり、チャレンジせずに不戦敗になることほど、
馬鹿らしいことはなかった。
 

次こそは!と、自らの尻を叩いて事を始めてみても、
時間切れで、結果的に失敗に終わってしまい、
金と時間を無駄にしただけという事もあった。
 
 
散々、失敗して気が付いたことがある。
 

それは、失敗したくなかったら、すぐ行動した方が良いと気づいた。
なぜなら素早い実行は、やり直す時間を与えてくれる。
 

やり直せる回数が増える程、成功の確率は上がる事を知った。
 
そして、実は失敗こそが、自分の実力、精神力を
嵩上げしてくれることにも気が付いた。

むしろ、私ほどの小心者は、せっかちに動くぐらいがちょうど良い。

本当に怖いのは、やり直しが出来ずに時間切れのまま
何かを終わらせなければならないという事に気が付いた。
 

とすれば、実は失敗する事って良いことなんじゃないかな?と
思えるようになった。

最近、ときどき周りに言われる言葉がる。
「少しせっかち過ぎない?、落ち着いてから行動してみたら?」

何言ってるんだよ!成功したいから早く動くの!
せっかち?上等だよ。

せっかち万歳だ!!
 
 

思い込みの激しい奴だった

 

昔から、私は思い込みが激しかった。

何か嫌なことがあると、二度とそれには近づかなかったり、
関わらないようにしていた。

その思い込みは、生活全般に渡った。



食わず嫌いという言葉がある。

私は昔、ラーメンが嫌いだった。
 
おいしいと思わなかったからだ。
身近においしい店も無かった。
 

子供の頃に食べたラーメンは、それは酷かった。
 
 
ぬるくて塩辛いスープに伸び切った麺。
そんなもんだと思った。

だから、ラーメンよりもうどんが好きだった。
 

昔、引っ越し魔だった時があった。
 
自分の理想の居場所を求めて、引っ越しを繰り返した。
 

何度目かの引っ越しの後、夜中にお腹がすいて、
近所のラーメン屋に行った。
 

夜中に営業してる店は、そこしかなかった。
 

ハッキリ言って、期待もしなかったし、腹が膨れりゃいいと
その程度しか思わなかった。
 
注文して、目の前に置かれたラーメンをすすって、びっくりした。
めちゃくちゃうまかった。
 
それ以来、ラーメンが好きになった。

経済的に余裕が出来た今は、おいしいラーメンを食べ歩くのは
ちょっとした趣味だ。

ラーメンが嫌いだったのは、自分の身近な店だけが、
ラーメン屋のすべてだったと思い込んでいただけだ。
 

これと同じで、自分の体験や経験なんて、場合によっては、
言い方は悪いかもしれないが、「たかが知れているのだ」
 

嫌いなもの、苦手なものだって、案外と場所や環境が変われば、
簡単に「嫌い」は「好き」になる。
 

もちろん、逆だってある。
 
経験や体験はとても大事なことだ。
 
でも、それに振り回されたり、拘泥していれば、
大切なことを見落とす場合だってある。
 

人付き合いは嫌いで、苦手だった。
それは、自分が生きてきた環境や世界での話だった。
 

新しい世界を知った時、苦手意識や嫌悪感は変わった。

その思い込みの強かった性格が幸いし、今では新しい答えが欲しい時は、
新しい世界、知らない世界に冒険するに限ると、思い込むようになった。


そして、変わった目、変わった価値観や感情で見つめ直したとき、
いつもの日常の環境すら、変わっていった。
 
 

環境なんてクソくらえ!

 
良くも悪くも、環境はとても重要だ。

環境が、幸不幸に大きく関わっていることは否定しない。
 
だが、視点を変えれば、環境は単なる容器という一面もある。
 
 
良い環境という質の高い容器を与えられたって、
 
使いこなせない奴はゴマンといる。
逆もまたしかりだ。

理想の環境を探すことは、とても大切なことだが、
考え方を変えない限り、そんなものは永久に手はいらない。
 

それは私自身が、かつて居場所を探し続けたことで、よく解った。

一つの環境が、全ての人間を満足させることなんて出来ない。
 

誰かにとっての居心地の良い環境は、ほかの誰かにとっては、
地獄のような環境かもしれない。
 

学校でいじめに遭った時、教室に入るのが怖かった。
 

教室の後ろのドアのガラス窓から中をのぞいたとき、
自分にとって、恐怖の環境でしかない教室の中で、笑顔の奴がいた。
 
楽しそうに友達と遊んでいる奴だっていた。
 

私は、教室の中で、笑う事なんて出来なかった。
 

形式的には、同じ環境であるはずなのにだ。
 

傍から見たら、羨むような環境なのに、不幸だと思っている奴は
ゴマンといる。
 
逆に、「よくも、あんな環境なのに」と思われる環境であっても、
幸せを感じる奴は一定数いる。
 
とすれば、環境は、幸不幸にとっては重要要素であるが、
絶対要素ではないと言える。
 
 

よくばりな性格なんです

 
 
生きていくうえで、大切なことは沢山ある。

その大切なことは、人によって千差万別だ。
 
ここで、私が考える大切な事とは「好き」と思える対象だ。
それは、人であったり、物であったり環境であったり、

とにかく、対象は千差万別だ。

誰かの好きという気持ちは、他の誰かには意味が無いこと、
逆に嫌いな事だったりもする。
 

大切なことは、自分目線の「好き」であり、
他人目線の「好き」なんて関係ないのだ。
 

周りに好かれたい、仲良くしたい、親だったり家族だったり、
友達だったり、誰だって皆けんかするより仲良くしたいはずだ。
 
誰だってそうだと思う。
 

だから、他人目線の「好き」だって大事にしたい。
そういう意見も否定はしない。
 

だからといって、自分にとって「好き」じゃない事なのに、
誰かにとっての「好き」を、人生の中で増やしても意味はない。
 
自分が辛いだけだ。
 

でも、自分の「好き」は有り過ぎて、どうして良いか判らない
そんな時は、自分にとって、絶対に外せない「好き」、譲れない「好き」。
 
これだけを考えるようにすれば良かった。
 

例えば、大好きな食べ物を、大好きな服を着て、大好きな季節、
大好きな天気、大好きな人、この好きなものに囲まれて、
食事をするとする。
 

私にとって、絶対に譲れない「好き」、それは「人」だった。
 

仮に、全て自分の理想を叶える状態で、もし好きな「人」が
欠けていた場合、ハッキリいえば嫌いな奴と一緒だったら。
 
そう考えると、全てが完璧でも、耐えられない苦痛だ。
 

だから、私にとって最優先にすべき「好き」は人になる。
 

この好きな「人」を自分の人生の中で増やしていくことを
最重要視している。
 

もちろん、これも人によって大きく異なる。
 

ファッションが大事だと思う人もいれば、食べ物だったり、
環境だったり、本当に色々だと思う。
 

何が正解で、何が間違っているとかは、ここでは言いたくないし、
言うべきことではない。
 
そう思っている。
 

なぜなら、この「こうでなければ・・」「・・だよ!普通は!」
という世間一般論というか、常識という言葉・・
 
色々な表現は出来るが、あえて書けば、「べき論」に
私自身は苦しめられてきたのだから。
 

この「好き」を増やしていくことが目的で、ここまで散々書いたが、
「考え方」なんて、手段に過ぎない。
 

そして、その中で、絶対に譲れない「好き」を追求していくことが、
人生を変えるうえで大切なことだと思う。
 

この「好き」に囲まれるようになった時、全てが楽しくなっていった。
 
 
 

思いは伝わらないし、伝えたい事は書ききれない。

 
 
昔、欲しかったものは、全部ではないが、幾つかは手に入った。

人生なんて変えることが出来ない、絶望しかない。
ずっと、そう思って生きてきた時、いつも考えることがあった。

生まれ変わりがあるかどうかなんて知らない。
 
だけど、人生をやり直したかったら、方法は一つしかない。
 
馬鹿みたいな話だが、生きていても地獄のような環境なのに、
死んでからも地獄に行きたくなかった。
 

もがき続けて、引きこもりになった時に、人生終わったと思った。
 

だけど、引きこもったことで、その経験があったからこそ、
地獄のような人生を終え、新しい人生を歩けるようになった。
 

実際、リアルでは言えない事、話せないことは沢山ある。
 

ブログという手段で、活字にしても伝えきれないだろうな・・
と思い、書くことを躊躇するときもある。
 
実際に、ブログに書いてない事や、あえて書かなかった事も
沢山ある。
 
伝えたいけど、これを書いたら自分の心の中を曝してしまう・・
これを書いたら、きっと誤解を受けるだろうな・・・

そう思うような事も、たくさんある。
 

ここに書いた事なんて、書きたかったことの半分もない。
 

それでも、少しでも、誰かに伝えることが出来たなら・・
そう思わずにはいられない。 

 

琴峰一歩のプロフィール Vol1

 


管理人 琴峰 一歩      プロフィール

Revtank Outtakes

現在、アラフォーの年齢になった。

10代は、いじめや人間関係に悩み、
苦しみ続ける孤独な毎日だった。

20代では、不安定な経済力や仕事で苦労し、不安な毎日を過ごした。

30代に入り、無職も経験した。
本当に人生を変えたかった。

人生を変える為に、やりたい事、 挑戦したい事は沢山あった。

ただ、それに反比例して、
どうしようもなくお金が無かった。

だから、お金を使わずにできる事。

自分自身の考え方を変えた。

まず、悩み続けた不安定な経済力、雇用関係が変わった。

次に、苦手だった人付き合いが
嘘のように活発になった。

長い間、変わらなかった現実が
突然ガラリと変わった。

今は、新しい人生の夢に向かい、
挑んでいる。

そして、それは少しづつ実現中だ。

 

 

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