この記事で書かれている内容
琴峰ってどんな奴?

「なんか変わってるね」「何か、みんなと違くない?」
いつも「違い」や「個性」を口にしながら、本心は「一緒・同じ」
という価値観を押し付けてくる周囲の同調圧力が耐えられなかった。
だから、人との関わりあいを極力避けた。
ずっと仲間はずれが当たり前で、独りぼっちの孤独だった人生、
受け取り方は変わってしまった。
人と違う事が嫌だったのに、人と違う事が、
人に会う事が楽しいと思えるようになった。
なぜなら、自分と違うから。
違うという事は、新しい何かを知るという楽しさだった。
とにかく、昔から良い意味でも、悪い意味でも
そんな事を、いくつかザックリと
プロフィールとは別に、書いてみた。
ひょんなことから弟子入り!伝統芸能の世界。

弟子入りした事だった。
伝統芸能の世界に関わるようになるなんて、思いもよらなかった。
ハウツー本を読み漁り、可能な限り努力した。
ここまでが精いっぱいだった。
人間関係の濃さでいえば、いきなりレベルMAXの状態だ。
ヘビー級のチャンプに喧嘩を売るようなもんだ。
そこは想像の埒外だった。
劣等感を感じるだけの、辛く苦しい場所だった。
比較の対象にすら、ならなかった。
もっと自分自身を大切にしようという気持ちに変わった。
まだまだ成長できる可能性がある美点へと見方が変わった。
メチャくちゃ苦手なこと? それは自分の昔話

「そういえば、昔(学生時代)ってどうだったの?」
必ず言い出す奴がいる。
誤魔化すことが上手くできなかった。
何となく悪いような気持ちを持っていた。
だからと言って、消し去りたいと思っているような負の記憶を
過去の思い出になったからだろう。
数年たって、通信制の大学を卒業した。
だから、なるべく、今は当たり障りないようにしている。
一番多いのは大学の話だが、単に卒業資格を取得しただけだ。
そんな生活だったから、今振り返っても、どの部分を切り取っても、
別に、酒の席で、ことさら不幸話として話すつもりもない。
変に同情されることで、逆に汚される様な気がした。
大切にしたくなった。
スキルも無ぇ!資格も無ぇ!だけど正社員

それなりの規模、それなりのネームバリュの会社に、勤めている。
軽く自分の経歴を話す機会がある。
30代半ばで、未経験でしたが今の職種で、正社員で入りました」
その場合には、必ずこう答える。
思っている人はかなり多い。
さほど重要じゃない場合だって、多々ある。
行うことが出来ない専門職だけだ。
資格以外の業界に目を向けなくなるからだ。
別業界、未経験という理由だけで、見過ごす場合があるという事だ。
分かりやすく言えば、自分の好きな職種や、やりたい職種、慣れた業界、
不確実性があるからだと思っている。
最近の偽らざる気持ちだ。
結局、最後に採用の合否を決めるのは人間だ。
もし資格を持っていたら、という感情が入り込む余地が生まれる。
人付き合い、それは超苦手のはずだったのに・・・

「琴峰さん!明後日の週末に温泉に行きませんか?」
狂言の会で知り合ったKさんのお誘いは、何時だって突然だ。
まあ、ゆっくりするつもりで、今度の週末の予定は
特に入れていなかった。
都合は悪くない、でも何となく気が進まなかった。
行きたくないなと考えた。
「わかった、行きましょう! どこに何時に集合するの?」
私はすぐにKさんに返事をした。
「嫌だなと思ったら、出来るだけ逆に考えて行動する」
自分自身でそういうスタイルというか、ルールを決めて、
ここ10年は、そうやって行動してきた。
思った事、考えた事と真逆の行動を取り続けた結果、
いつの間にか、見える世界は180度変わった。
変わる前の世界は、ずっと一人で孤独だった。
孤独は嫌いなはずなのに、いつも物事の選択は、
なぜか一人ぼっちの世界ばかりを選んでいた。
元々、人の誘いなんて、不貞腐れて初めっから断るような奴だった。
そのくせ、誘われないと酷く傷ついた。
「どうせ、自分なんて・・」そう思って勝手に拗ねていた。
「人付き合いとか、ウザいだけ!」そう思いながら、
変に格好をつけて生きてきた。
ハッキリって、今だって心の底では変わってない。
相変わらず、心の中では面倒くさい自分が、常に息づいている。
人間なんて、そうそう変われるもんじゃない。
だが、私の思いとは関係なく、現実は変わってしまった。
環境が変わり、人間関係が変わり、生活が変わってしまった。
野良犬みたいに寂しいけど、自由気儘な人生を送ってきたくせに、
いつの間にか、他人との関わり無しには生活が出来なくなっていた。
部屋に引きこもっていた頃は、いつか孤独死すると思っていた。
誰かと楽しく時間を過ごすなんて、自分には絶対に無理だと
思い込んでいた。
いつの間にか、周りに人がいる環境になり、伝統芸能の世界に入り、
師弟なんて濃い人間関係のなかで生活している自分を振り返ると、
ウソなんじゃないかと思う事もある。
もうやめた!明日から全部やめて、また一人気儘にやろう!
そう思っても、何故かやっぱり人と関わるようになってしまう。
人が嫌いだったはずなのに、人付き合いが超苦手だったのに。
おかしな話だ。
自分でもそう思っている。
時々、不意に昔の事を思い出し、ボーっとしてしまう事がある。
特に、今みたいに誰かから楽しい誘いを受けた時だ。
その間も、Kさんは、電話口でずっと喋っていた。
「琴峰さん!聞いてるの?」
「いや~、新緑がきれいな時期だから、車なんかじゃ勿体ない!
出来れば、単車で温泉に行きましょう!」
マシンガンの連射のように、Kさんは話が途切れない。
不意に、我に返って、ついつい毒気づいてしまう。
「Kさん~。あなた、何時も急だよね~」
口では文句を言いながら、嫌だと思いながら、
それでもニコニコしている自分がいる。
もう、行くと返事をしてしまった以上、温泉には行く。
電話を切った後、「めんどくせーな」、つい口に出すが、
本当のところは、嬉しくてしようがないのだ。
急いで準備を整えて、週末に単車を走らせた。
来て良かったと思える、素晴らしい新緑の眺めだった。
「Kさん!今度はさ、紅葉の時期に、もう一回来ようよ!」
いつの間にか、今度は自分が誘っていた。
「めんどくせーな~」と、ウキウキしながら。
天邪鬼な性格?

何も考えないで行動したわけじゃなかった。
何故か、物事が上手く運ばなかった。
これが、引きこもるようになって、
最初に考えたことだった。
結局、全ては自分の考え方に原因があった。
自分の生き様が、そのまま思考になっていた。
ここを変えない事には、何をやっても同じだと思った。
性格改善や自己啓発の本なんて、いくら読んでも他人事だった。
これ以上したくなかった。
努力以外に方法はないかと、そればかり考え続けた。
「こうしたら・・」「ああしたら・・」と思い浮かぶ思考と、
真逆の考え方をしたら、どうなるんだろうと思うようになった。
これなら、無理して自分を変える必要も無いと思った。
思考はそのままに、浮かんだ行動イメージを逆に考えるようにした。
「明日やろう」・・今、明日やろうって思ったから、
「なんだ、簡単じゃないか!要は天邪鬼になれば良いんだよ!」
気持ちがとても楽になり、、自然に行動に移してみようと思った。
環境は急に変わり始めた。
弱点克服? いたしません!

いつも短所を克服したかった。
でも、努力するほどに、よけい短所ばかりが目につき、
自分の事が大嫌いだった。
そして、長所・短所といっても、実は考えていたのは
好き=長所でと捉え、嫌い=短所と捉えていた訳だ。
少なとも、私自身はそう思っていた。
だから、自分自身が嫌いだったころは、短所は言えても長所を
言えるわけが無かった。
なぜなら、自分自身が嫌いだったのだから。
自分の存在そのものが、短所の塊だと思っていた。
引きこもった時、考える時間は、無限にあった。
だから、世間一般で言われるような長所、短所を考えた。
散々考えて、自分なりの答えがでた。
私自身は思っている。
例えば、何かを選択、選別するとき、中々決められない。
その「物事の決定時における優柔不断」という傾向性の人間が、
だからといって、仮にその人が、その世界で大失敗したとしても、
それが即、その人の全人格が駄目だというのとは話が違う。
もう傾向性というのは、なかなか治らないと思う。
それなら、「優柔不断」という傾向性を治す努力をするよりも、
判断に際し、熟考、慎重を求められる職場に移った方が早いわけだ。
つまり、何が言いたいかといえば、長所・短所というのは
世界が変われば、求められる能力なんて、どうにでも変わる。
ジャンケンと一緒だ。
でも、負け続けたからって、「チョキって最悪だよ!」
とはならない。
最悪なのは、勝負に勝てないチョキの能力ではなく、
それなら、チョキはチョキのまま、無理にパーにならずに
パーの世界にフィールドを移せばよいだけだ。
誰もチョキというあなたに、敵う奴は存在しない。
長所・短所なんて、そんなものは絶対評価ではなく、
だから変えるべきは、性格や傾向性ではなく、環境や考え方だ。
負け続けたことで、それを学べた。
いつまでも夢見る夢子

萎み、消えていった。
何かを諦めたり、夢や希望を無くすことで、
子供だけが、夢を見ることが出来ると思っていた。
10代の頃からいつも思っていた。
おかしいぞ?」と。
何歳になろうと、夢なんていつだって持っても構わないはずだ。
きっと、もう今となっては、遅いかもって考えている事だって、
50歳になったとき、あと何年早かったら!って思うかもしれない。
そんな事は、絶対に考えたくもなかった。
逆張り思考が当たり前になった今でさえ、考えることがある。
それは、「今更、この歳で、そんな夢なんか持っちゃダメなんだ」
という考えだ。
だから逆に、ガンガン夢や希望を考えるようになった。
とりあえずは、当面の目標は50歳になったとき、
新しい人生のステージに立っている事だ。
どんな夢かは秘密だが。
せっかち万歳‼

全て、失敗続きだった頃、何かにチャレンジすることが
心底怖くなっていた。
今までなら、簡単に決められた事も、迷うようになっていった。
そして、何かにつけ「ちょっと待てよ?」考え出して
散々考えて、決断しても、いざ実行に移す時になると、尻込みした。
散々迷ってグズグズしていた結果、
気が付いたら時機を逸してしまうような事も多かった。
成功を意識するあまり、チャレンジせずに不戦敗になることほど、
馬鹿らしいことはなかった。
次こそは!と、自らの尻を叩いて事を始めてみても、
それは、失敗したくなかったら、すぐ行動した方が良いと気づいた。
やり直せる回数が増える程、成功の確率は上がる事を知った。
嵩上げしてくれることにも気が付いた。
むしろ、私ほどの小心者は、せっかちに動くぐらいがちょうど良い。
本当に怖いのは、やり直しが出来ずに時間切れのまま
とすれば、実は失敗する事って良いことなんじゃないかな?と
思えるようになった。
最近、ときどき周りに言われる言葉がる。
何言ってるんだよ!成功したいから早く動くの!
せっかち万歳だ!!
思い込みの激しい奴だった

昔から、私は思い込みが激しかった。
何か嫌なことがあると、二度とそれには近づかなかったり、
関わらないようにしていた。
その思い込みは、生活全般に渡った。
私は昔、ラーメンが嫌いだった。
子供の頃に食べたラーメンは、それは酷かった。
だから、ラーメンよりもうどんが好きだった。
昔、引っ越し魔だった時があった。
何度目かの引っ越しの後、夜中にお腹がすいて、
近所のラーメン屋に行った。
夜中に営業してる店は、そこしかなかった。
ハッキリ言って、期待もしなかったし、腹が膨れりゃいいと
その程度しか思わなかった。
経済的に余裕が出来た今は、おいしいラーメンを食べ歩くのは
ちょっとした趣味だ。
ラーメンが嫌いだったのは、自分の身近な店だけが、
これと同じで、自分の体験や経験なんて、場合によっては、
言い方は悪いかもしれないが、「たかが知れているのだ」
嫌いなもの、苦手なものだって、案外と場所や環境が変われば、
もちろん、逆だってある。
大切なことを見落とす場合だってある。
人付き合いは嫌いで、苦手だった。
新しい世界を知った時、苦手意識や嫌悪感は変わった。
その思い込みの強かった性格が幸いし、今では新しい答えが欲しい時は、
そして、変わった目、変わった価値観や感情で見つめ直したとき、
いつもの日常の環境すら、変わっていった。
環境なんてクソくらえ!

環境が、幸不幸に大きく関わっていることは否定しない。
理想の環境を探すことは、とても大切なことだが、
考え方を変えない限り、そんなものは永久に手はいらない。
それは私自身が、かつて居場所を探し続けたことで、よく解った。
一つの環境が、全ての人間を満足させることなんて出来ない。
誰かにとっての居心地の良い環境は、ほかの誰かにとっては、
地獄のような環境かもしれない。
学校でいじめに遭った時、教室に入るのが怖かった。
教室の後ろのドアのガラス窓から中をのぞいたとき、
自分にとって、恐怖の環境でしかない教室の中で、笑顔の奴がいた。
私は、教室の中で、笑う事なんて出来なかった。
形式的には、同じ環境であるはずなのにだ。
傍から見たら、羨むような環境なのに、不幸だと思っている奴は
ゴマンといる。
幸せを感じる奴は一定数いる。
絶対要素ではないと言える。
よくばりな性格なんです

その大切なことは、人によって千差万別だ。
とにかく、対象は千差万別だ。
誰かの好きという気持ちは、他の誰かには意味が無いこと、
逆に嫌いな事だったりもする。
大切なことは、自分目線の「好き」であり、
他人目線の「好き」なんて関係ないのだ。
周りに好かれたい、仲良くしたい、親だったり家族だったり、
友達だったり、誰だって皆けんかするより仲良くしたいはずだ。
だから、他人目線の「好き」だって大事にしたい。
だからといって、自分にとって「好き」じゃない事なのに、
誰かにとっての「好き」を、人生の中で増やしても意味はない。
でも、自分の「好き」は有り過ぎて、どうして良いか判らない
例えば、大好きな食べ物を、大好きな服を着て、大好きな季節、
大好きな天気、大好きな人、この好きなものに囲まれて、
食事をするとする。
私にとって、絶対に譲れない「好き」、それは「人」だった。
仮に、全て自分の理想を叶える状態で、もし好きな「人」が
欠けていた場合、ハッキリいえば嫌いな奴と一緒だったら。
だから、私にとって最優先にすべき「好き」は人になる。
この好きな「人」を自分の人生の中で増やしていくことを
最重要視している。
もちろん、これも人によって大きく異なる。
ファッションが大事だと思う人もいれば、食べ物だったり、
環境だったり、本当に色々だと思う。
何が正解で、何が間違っているとかは、ここでは言いたくないし、
言うべきことではない。
なぜなら、この「こうでなければ・・」「・・だよ!普通は!」
という世間一般論というか、常識という言葉・・
私自身は苦しめられてきたのだから。
この「好き」を増やしていくことが目的で、ここまで散々書いたが、
「考え方」なんて、手段に過ぎない。
そして、その中で、絶対に譲れない「好き」を追求していくことが、
人生を変えるうえで大切なことだと思う。
この「好き」に囲まれるようになった時、全てが楽しくなっていった。
思いは伝わらないし、伝えたい事は書ききれない。

人生なんて変えることが出来ない、絶望しかない。
生まれ変わりがあるかどうかなんて知らない。
死んでからも地獄に行きたくなかった。
もがき続けて、引きこもりになった時に、人生終わったと思った。
だけど、引きこもったことで、その経験があったからこそ、
地獄のような人生を終え、新しい人生を歩けるようになった。
実際、リアルでは言えない事、話せないことは沢山ある。
ブログという手段で、活字にしても伝えきれないだろうな・・
と思い、書くことを躊躇するときもある。
沢山ある。
そう思うような事も、たくさんある。
ここに書いた事なんて、書きたかったことの半分もない。
それでも、少しでも、誰かに伝えることが出来たなら・・
そう思わずにはいられない。