「普通」にあこがれ続けた問題児だった


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「気だるそうに座り込む男性」の写真[モデル:Tsuyoshi.]

みんなと同じでいたいのに、なぜかみんなと違うと言われ続けた。

自分にとっての当たり前が、周囲からみたら違っていた。
いつしか、異分子のレッテルを貼られるようになった。

「なぜ出来ないの?」、「どうして出来ないの?」

そんな言葉とともに、周囲は「みんな同じ」という
同調圧力をかけてきた。

もちろん、私も周囲と同じでありたかった。

だが、努力してもそれは認められることは無かった。

いつの間にか、みんなと同じという事に疲れている自分がいたが、
どうしようも無かった。

ただ、みんなに合わせるだけの苦痛な毎日だった。

もちろん、普段から問題行動をとるつもりも更々無かったが、
結果的に問題提起をされる側にいつも立たされた。

これで勉強できなければ、どうしようも無いと危機感を覚え、
必死になって勉強もした。

だが、それは単に「勉強が出来る変な奴」の一丁上がりだった。

小学校のころは「変な奴」でも、それで良かったが、
中学に入ると自然と周囲から孤立するようになっていった。

ずっと変わり者と言われ続け、孤独には慣れているつもりだった。
だが、いじめられるようになると、孤独は辛かった。

昨日まで友達だと思っていた奴に、いじめられるのは辛かった。

話しかけても無視をされ、嫌がらせは日常茶飯事だった。
教室の中に、自分の居場所はどこにもなかった。

授業中はまだ良かったが、授業の合間の5分10分が辛くて
教室を抜け出して、廊下をうろついたりして時間を潰した。

学校は何もしてくれなかった。
親の期待も裏切りたくなかった。

家では、まさか学校でいじめられているなんて素振りは
微塵も見せなかった。

この時の経験が、拭い難い人間不信と対人嫌悪の切っ掛けになった。

進級し、クラスが変わると大きないじめは無くなった。
だが、もう積極的に他人と関わろうとはしなくなった。

自分の理想を押し付ける両親にも、もう認められようとか
思わなくなった。

人と違うと言われても、もうそれで結構だから、
私の事は放っておいてくれ、構わないでくれという気持ちだった。

ただ、全てが面倒くさくて、どこか遠くに行きたかった。
自分にとっての「普通」を認めてくれる場所が欲しかったからだ。

やがて高校進学の時期が来たが、親はお金を出してくれなかった。
進学したいなら、勝手にすれば良いというスタンスだった。

そんな中、早く大人になって自由になりたかった。

だから昼間はアルバイトをして独立資金を貯めるために、
定時制高校を選んだ。

今は知らないが、30年くらい前の定時制高校の生徒は、
本当に全てにおいて恵まれなかった人間が多かった。

むかし、「夜間中学」という映画があったが、
現実はもっとドロドロしていた。

親が蒸発し、施設に送られないように、親がいるフリをしながら
兄妹だけでアパートに住んでいる人間とか、普通にいた。

福祉や行政なんて意味があるのかと、そう言われる様な環境に
身を置くしかない人間も本当に多かった。

日の当たることが絶対にないような世界、そんな世界しか
行き場も無ければ、生きる場所が無い、本当の弱者もいた。

それでも、自分の人生を何とかしようと、夜学に通う人も多かった。

悲惨な環境に身を置きながら、なぜか心根の綺麗な同級生が多かった。

ただ自分も含めて、みんな完全に当時の学歴至上主義の埒外にいた。

そこで初めて、自分の目指す自由を手に入れるには、
学歴が必要で、良い会社に入るしか無いのだと痛感した。

今では、そんな事は無いが、当時は幸せのモデルケースというのは
自分自身にとって、とても限られたものでしかなかった。

そこから這い上がる為に、必死で勉強して高校に入りなおした。

だが、現実問題としてお金が無かった。

何かをするには、お金が無いと何も出来ないという事も知った。

今までは昼間働き、夜は学校という生活だった。

今度は逆に、昼間に学校に行き、夜は水商売をして学費をねん出した。

水商売では、人間関係の厳しさ、楽しさを教わったが、
それは、普段の自分とは違う誰かを演じることで出来る事だった。

だから、素の自分で通う学校では相変わらず、
誰とも話さないような生活だった。

ただ、中学の時とは大きく違ったのは、お金がないという理由で、
同級生と関わりたくても、関われないということだった。

何故なら、入りなおした高校は、私学の進学校だった。

みんな、それなりに身だしなみも良く、定時制の生徒とは
全てにおいて真逆だった。

いつも学校の帰りに喫茶店に行ったり、どこかのお店に寄ったりと
高校生活を満喫する同級生達を横目にナイトクラブで働いた。

結局、高校時代も相変わらず誰とも仲良くなることも無く、
高校生らしい生活など皆無で卒業した。

今となっては、過去の笑い話となっているが、
たった一つだけ心残りがあるとすれば、
修学旅行と卒業旅行に行けなかったことくらいだろうか。

もちろん、仲の良いクラスメートがいた訳ではない。
特に修学旅行も卒業旅行も絶対に行きたいわけではなかった。

ただ、お金が無くて行けなかったのが残念でならなかった。

周囲が面白おかしく旅行の話をしているそばで、「俺は関係ない」
という顔をしながら教室の後ろに置いてある古い週刊誌を
必死になって読んでいるフリをするのは、トンデモなく
寂しいものだった。

とにかく、当時は卒業するのに必死だった。

結局、卒業アルバムすら買えないギリギリの経済状態で卒業した。

高校時代の楽しい思い出が無い事が、同級生を誰も思い出せない
今の現状から見たら却って好都合だった。

楽しい生活は、大学に入ってからだと自分に言い聞かせていたが、
大学も、結局はお金がなくて進学できなかった。

こうして、私の学生生活は18歳で一旦はピリオドとなった。

それでも、まだこの頃は人生に希望も夢も持っていた時だった。

琴峰一歩のプロフィール Vol2


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管理人 琴峰 一歩      プロフィール

Revtank Outtakes

現在、アラフォーの年齢になった。

10代は、いじめや人間関係に悩み、
苦しみ続ける孤独な毎日だった。

20代では、不安定な経済力や仕事で苦労し、不安な毎日を過ごした。

30代に入り、無職も経験した。
本当に人生を変えたかった。

人生を変える為に、やりたい事、 挑戦したい事は沢山あった。

ただ、それに反比例して、
どうしようもなくお金が無かった。

だから、お金を使わずにできる事。

自分自身の考え方を変えた。

まず、悩み続けた不安定な経済力、雇用関係が変わった。

次に、苦手だった人付き合いが
嘘のように活発になった。

長い間、変わらなかった現実が
突然ガラリと変わった。

今は、新しい人生の夢に向かい、
挑んでいる。

そして、それは少しづつ実現中だ。

 

 

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