自衛隊を辞めた時、手元にはアルバイトをしながら倹約すれば、
学生をしながらでも数年間は暮らせる位のお金があった。
だが、この時に私は致命的なミスを犯してしまったのだ。
再出発の仕切り直しをするために、帰るつもりのなかった
実家に戻ってしまったのだ。
こちらは親との和解が出来ればと、淡い希望を持っていたが、
向こうは、こちらの懐具合を当てにしていただけだった。
結果、貯金の大半を家族に使われ、早々に再び実家から逃げ出した。
これ以上、実家に食いモノにされるのが嫌だったからだ。
貯金が大幅に減ったことで、進学の熱も冷めてしまい、
投げやりになった。
そこで、思い切って全然違う世界に飛び込んでみようと、
美容業界に再就職した。
良い大学に入って、良い会社に入るという夢が破れてしまった今、
全く異なる職人の世界に活路を見出そうと思ったからだ。
それに学歴に関係なく、実力と腕一本で、どこででも仕事が出来る
イメージが魅力だった。
そうして飛び込んだ美容師の世界は、女性ばかりの環境なのか
かつて働いていた水商売と本当によく似ている部分が多かった。
美容師の業界の最初の印象は、そんな感じだった。
とにかく、みんな派閥を作りたがるし、
物言いもきわめて歪曲的、間接的だった。
例えば、何かを伝えたい相手が目の前にいても
「どこかの誰かさん」などという言い方をしたりしていた。
はっきり「あなたが」とは決して言わなかった。
この言い方が閉店後に、仲の悪い同士の喧嘩の原因になって、
「言いたいことがあるならハッキリ言いなよ」などと
言い合いに発展したりも、多々あった。
女同士の諍いなんて、水商売では日常茶飯事だったし、
お酒が入っていない素面を相手にするのなんて、訳ないと思った。
仕事も自衛隊のシンドさに比べたら、
一日中立ち仕事が辛いなんて言われようが、へつちゃらだった。
だが、経験とは諸刃の剣でもあり、身体を鍛えたことで、
ガンガン働けたが、それが却ってオーバーワークを招いてしまった。
入店から一年でカット以外の事までやらせてもらえるようになった事で、
調子に乗ってしまいオーバーワークに拍車がかかってしまった。
限度を超えて働き続けてしまったことで、判断力が低下し、
交通事故に遭っててしまったのだ。
大怪我を負い、しばらく入院することになり、
結果として、それ以降の再起は望めなくなった。
怪我の範囲は体の半分に及び、復帰したとしても立ち仕事や
細かい作業が出来なくなったからだった。
結局、美容師を断念することになり、この頃から徐々に
何かを一生懸命にやる事への恐怖感が生まれるようになった。
「どんなに頑張っても、失敗したら元の木阿弥だ」そう思うと、
いつの間にか、一生懸命に取り組むフリをするようになった。
理由があったにしろ、自衛隊に続き、美容師も道半ばで断念したことは
後々まで心の中にささくれのように残り、ずっと引きずった
琴峰一歩のプロフィール Vol4
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