面倒な母親


Pocket

高圧的な態度でお金を借りる上司と貸した金額をメモする部下

自衛隊の門をくぐった時から、
定年まで、自衛隊にいるつもりは全く無かった。

大学に進学し、将来はどこかの企業に勤めて、
安定した良い暮らしがしたかった。

かっこいい車に乗ったり、きれいなマンションに住んでみたかった。
高校生の時は、世の中がちょうどバブル景気で華やかだった。

テレビでは、トレンディドラマが流行っていた。

CMなんかも、仕事そっちのけで定時上りの5時から男とか、

24時間戦えますかとか、今なら完全にコンプラ違反のような
CMも流れていた。

このまま永遠に、世の中は上り調子で、景気が悪くなる事など、
考えられないような時代だった。

私が、自衛隊に入ったのは、もうバブル景気も終わりの頃だった。

自衛隊に入ったら、日々心が折れそうになる事ばかりだった。

「いつかは!」と華やかな将来を夢見て、現実にかえると、
毎日が汗臭く、ドロドロに汚れて、夢も希望もクソもなかった。

ただ毎日が、他人よりも少しでも楽がしたい、

休みたいと思う事の繰り返しだった。


今の、納得がいかない私の環境も、大学さえ卒業したら、
全ては逆転できるんだと、そう思っていた。


延灯が許可されるようになってからは、眠い目をこすりながら、
机に向かった。

勉強している時、眠くなると、辛い環境から抜け出す為の行為を
今しているんだと、自分の心に言い聞かせた。

だから、必死になって、折れそうな心に鞭を打ち、
ただひたすらに、「チャンスは必ずくる」そう信じていた。


その頃、勉強の問題とは別に、もう一つの問題にも悩まされていた。


それは、給料日になると、母親が金の無心をしてくることだった。

断り切れず、数万円の仕送りをした。

毎月、少しでも遅れると、母親は隊に電話を架けてきて、
怒鳴り散らした。

この仕送りは、自衛隊を辞めても、ずっと続いた。

「お前も大変だな」と、部隊に配属後も、いつも周りに言われた。

当時、仕送りすることは、そんなに珍しいことではなかった。

実際に、「本当に、同じ日本ですか?」と尋ねたくなるくらいの、
非常に貧しい家庭の出身者も、同期にはいた。

だが、私の父親は、人の何倍も稼ぐような高給取りだった。

本来なら、仕送りなんてしなくても良い家庭だった。


原因は、母親の金遣いが荒かったのだ。


毎月、給料が振り込まれると、心の中で、母親を嫌悪にしながら、
その母親を切り捨てられない自分もいた。

仕送り以外にも、「○○にお金が必要だから」とか言われると、
言われるがままに、お金を送った。

あれば、あっただけお金を使うような母親だった。

大学の進学も、母親が原因で諦めた。

高校の頃も、大学進学を目指して、必死にお金を貯めた。

それを、何だかんだ理由を付けて、ことごとく吸い取られた。

母親は、自分自身が大学に進学しなかった事を、
酷いコンプレックスとして持っていた。

彼女は、自分が進学出来なかったからと、
子供の進学を邪魔するような親だった。

自衛隊に来たら、何となく母親から解放されるような期待を持った。

しかし、どこまでも、母親は追いかけてきた。

大体、給料日から、三日目くらいになると、必ず電話があった。

「もう、今日あたり電話がくるかもしれないな」という日は、
訓練していても、気が気じゃなかった。


案の定、「まだ、お金届いてないんだけど?どうなってるの?」と、
母親から、隊に電話がかかってきた。


面白いもので、借金で首が回らなくなり、自衛隊に来た同期もいた。

同じように、返済を促す連絡が隊に来て、大体同じような時に、
教官室で何度か会った。

その彼とは、班が違ったため、あまり言葉を交わす事も無かったが、
同じ班の同期とは、また違った、妙な連帯感を持ったりもした。

一度、専門教育機関にいた頃、所属の班長に母親から電話が来ても、
私に取り次がないで欲しいとお願いしたことがあった。

もう大変だった。

連日、何度も何度も、電話が来るのである。

最後は、こちらが根負けし、電話に出れば、罵詈雑言の嵐だった。

送金さえしていれば、うるさいことを言われないから、
最後は面倒になって、嫌だなと思っても、仕送りをしていた。

この母親の問題は、その後の人生でも、ずっと尾を引き、
かなりの期間を悩まされ続けた。

実際に、自衛隊を辞めた後、大学に進学するときにも、
色々とやらかしてきて、散々に悩まされた。


この記事に関連する記事一覧

コメントフォーム

名前

メールアドレス

URL

コメント

CAPTCHA


トラックバックURL: 
管理人 琴峰 一歩      プロフィール

Revtank Outtakes

現在、アラフォーの年齢になった。

10代は、いじめや人間関係に悩み、
苦しみ続ける孤独な毎日だった。

20代では、不安定な経済力や仕事で苦労し、不安な毎日を過ごした。

30代に入り、無職も経験した。
本当に人生を変えたかった。

人生を変える為に、やりたい事、 挑戦したい事は沢山あった。

ただ、それに反比例して、
どうしようもなくお金が無かった。

だから、お金を使わずにできる事。

自分自身の考え方を変えた。

まず、悩み続けた不安定な経済力、雇用関係が変わった。

次に、苦手だった人付き合いが
嘘のように活発になった。

長い間、変わらなかった現実が
突然ガラリと変わった。

今は、新しい人生の夢に向かい、
挑んでいる。

そして、それは少しづつ実現中だ。

 

 

ページの先頭へ