明けても暮れても、連帯責任


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「CH‐47J(チヌーク)からの人員降下」の写真

自衛隊では、事あるごとに身辺整理ばかりだと書いたが、
それだけではない。

当然、国を守る集団である以上、戦闘訓練がある。

そして、課業に座学以外に戦闘訓練が含まれるようになると、

一人一丁の自動小銃が支給される。

これが始まると、途端に被服の汚れが酷くなった。

半長靴もボロボロになる。
(記憶では、ヘンジョウカと呼んでいたように思う)

短靴、半長靴ともに二足ずつの支給だったと記憶している。

普通に考えれば、半長靴も一日ごとに交互に履けばよいのだが、
新品は非常に革が固く、慣れるまでは足が痛くて堪らなかった。

だから、心情的に履きなれた方に頻度が集中してしまう。

すると毎日履く靴の方が、どんどんズタボロになっていくが、
班長はお構いなしに、「綺麗に磨き上げろ!」と言ってくる。


誰も、何も教えてくれない。


一番最初に一回だけ、班長が手順を教えてくれただけである。

初めの頃は、同期のよしみでお互いに教えあっていても、
毎日毎日、ズタボロになるまで訓練で身体を酷使していると、
だんだんと、皆、無口になっていく。

お互いに疲れ切っているから、同じことを何回も聞けないし、
こちらも聞いて欲しくないと思うようになってくる。

そうなると、以後は、ただひたすらに器用に身辺整理をこなす
同期の作業を横目に、やり方や段取りの手法を盗んでいくのだ。

そして、無口になっていくにしたがって、舌打ちが増えていく。

それに伴って、何かにつけ同期の短所ばかりが目に映るようになり、
互いにイライラしてくるのだった。

もう、三か月間の訓練期間の中頃には、心身共に疲弊しきっていた。

その頃になると、班長に叱られる奴は大概決まってくる。

それは、どこの班でも同じだった。

班長の怒鳴り声が聞こえてくると、「あ、何班の誰それだな」とか、
「またアイツが原因かよ」とか、舌打ちが聞こえてきた。

多分にもれず、私の班でも、やはり叱られる奴は決まっていた。

身辺整理が板につき、あまり言われなくなると(それでも言われたが)

今度は、事あるごとに連帯責任だ!と怒鳴られるようになった。

移動の際に、動きが遅いと「遅い!何してる!」と連帯責任。
戦闘訓練で失敗したら、「弛んでる!」と連帯責任!

身辺整理がうまいこといかないと、連帯責任!
声が小さいと怒鳴られて、連帯責任!


本当に、明けても暮れても連帯責任だった。


最初は、連帯責任が理不尽極まりないと思っていた。

だから、何かあれば「なんで!アイツのせいで!」という
思いや気持ちが強かった。

そうなると、何かのきっかけで不満が爆発し、喧嘩が始まる。

私も、喧嘩を仲裁しようとして、逆に胸倉をつかまれた時に、
タイミング悪く、その時に班長が部屋に入ってきた事があった。

結局、胸倉を掴んできた同期と、私の二人がこっぴどく叱られた。

そんなことが、どこの班でも二回や三回くらいはザラにあった。

でも、その度に同期としての絆のようなモノが強くなっていき、
戦闘訓練を重ねるうち、連帯責任の意味も分かっていった。

そうなると、どんなに疲れていても、お互いを気遣うように
変わっていき、連帯責任の腕立て伏せや、ランニングも
捉え方が変わっていった。

また人間は不思議なもので、朝から晩まで身体を酷使している中で、
ある一定の限界を超えてくると、笑いが出てくる。

何となくニヤつくわけではないが、ヘラヘラするとでもいうのか、
妙な楽しさが出てくるのである。

「あ~、また連帯責任かよ~仕方ね~な!」と、班長の目を盗んで、
文句を言いながらでも、結構楽しく腕立て伏せをしてしまうのだ。

自衛隊という特殊な組織の性質上、関連性の高い警察や
消防などを除いて、場合によっては仕事で死ぬかもという事を
意識するようなことは余りないように思う。

だからこそ、生きるために、常に死ぬほど訓練するし、
どんな時でも仲間は一蓮托生なのだ。

 

そして、一旦、自衛隊で生半可でない連帯責任や
仲間意識を体験してしまうと、普段、何気に使う仲間や
絆という言葉が、薄っぺらいというか、なんというか、
ひどく言葉遊びをしている感じを受けてしまうようになった。

 

そうして訓練はどんどん進み、実弾演習や夜間戦闘訓練をこなし、
卒業を前に、一昼夜で40キロを走破する行軍演習を迎える。

当然、40キロ行軍は単に歩くだけではなく、戦闘訓練も含まれる。

装備も、小銃も含め背嚢やその他諸々の非常に重い装いだ。

いってみれば、その40キロを歩き通して、無事に帰ってくるために、
今までの全ての訓練があったともいえる内容だ。

その頃になると、最初は青瓢箪やモヤシのような奴でも、
かなりガタイが良くなっていて、結構パワフルな奴になっている。

声が小さがった奴でも、いつの間にか、でかい声になっていて
それが全然違和感がないのである。

考えてみたら当然だ。

「入ります!〇班!〇〇二士!班長に用件があって参りました!」

「声が小さい!!やり直し!!」

みたいに、しょっちゅう大声を出すことを要求されるからだ。

そうして、卒業を迎えるころには、全く違う人間になっているのだ。

それが、良いか悪いかは別にしても、その後の人生において、
辛いとか苦しいとか感じる時、この三か月はあらゆる場面で
私の中で、一つの指標になった。

そして、苦労や苦悩に対して、耐性のハードルが上がってしまった。

後々、その経験が、自分の首を絞めることになったのに気づいたのは、

自衛隊を辞めてから、かなり時間がたってからだった。

 


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管理人 琴峰 一歩      プロフィール

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現在、アラフォーの年齢になった。

10代は、いじめや人間関係に悩み、
苦しみ続ける孤独な毎日だった。

20代では、不安定な経済力や仕事で苦労し、不安な毎日を過ごした。

30代に入り、無職も経験した。
本当に人生を変えたかった。

人生を変える為に、やりたい事、 挑戦したい事は沢山あった。

ただ、それに反比例して、
どうしようもなくお金が無かった。

だから、お金を使わずにできる事。

自分自身の考え方を変えた。

まず、悩み続けた不安定な経済力、雇用関係が変わった。

次に、苦手だった人付き合いが
嘘のように活発になった。

長い間、変わらなかった現実が
突然ガラリと変わった。

今は、新しい人生の夢に向かい、
挑んでいる。

そして、それは少しづつ実現中だ。

 

 

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