私が高校を卒業して、一番最初に就職したのは自衛隊だった。
学校の帰り道、JRの環状線の駅を降りて改札を出た時、
地方連絡部だったかな・・通称「地連」と呼ばれる人達に
声をかけられたのが切っ掛けだった。
当時は、学力的には問題なかったが、金銭的な問題があり、
どうやったら進学できるのかが、目下の最大の悩みだった。
行きたい大学と、行ける大学を朝から晩まで考えていた。
だから当然、自衛隊なんて入るつもりは毛頭なかった。
理由は簡単だ。
進学したかったからだ。
「進学したいから、自衛隊にはいきません」、そう断った。
「自衛隊に入ると、お金貯まるよ!衣食住にお金かからないし。」
「それに、学校だって行ける。」
そう言われて一瞬、立ち止まって相手の話を聞いてしまった。
それがいけなかった。
あっという間に、周囲からワラワラと地連の人が集まってきて、
囲まれてしまい、結局、彼らの話を聞くことになってしまった。
彼らの話は、以下のような事だった。
自衛官として、複数年の任期を一回勤めて、任期満了金をもらい
続けて二回目の任期を務めて、改めて退職金をもらい、退職するか。
もしくは、退職せずに下士官を目指してそのまま残るか。
その場合は、50代始めまで務めることになり、退官となる。
その間に、学校に通ったり、専門性を高めたりしながら
毎日を訓練しながら過ごすとのことだった。
正直、話を聞けば聞くほど、当時の私にとっては魅力だった。
事情があって、私は高校卒業後は、家を出なければならず、
ハッキリ言って、進学問題以外にも、衣食住の問題も山積だった。
話を聞いて以後、自分の中で自衛隊に一度行き、可能な限り貯金し、
その間に大学に進学し、卒業したら除隊して普通に就職しよう、
そう考えるようになっていった。
結局、決心がつかず、奨学金が借りれたら進学できる、
そうなったら、自衛隊には行かない。
奨学金が借りれなかったら、潔く進学を諦めて、自衛隊に行こう。
そう考えた。
結局、奨学金は父親の年収が高すぎて無理だった。
学費をねん出できる家庭の子は、奨学金は貸せない、
親に出してもらってくださいとの事だった。
まあ、当然の結果だった。
親が学費を出さないことは解っていたら、残る進路は自衛隊だった。
学校の担任は、最後まで進学に関して心を砕いてくれたが、
11月だったと記憶しているが、学力試験と健康診断を受けて、
年末に合格通知をもらった。
私にとっての受験は、年末で終わってしまった。
クラスの友達には自衛隊に行くことは言わなかった。
学年で就職するのは、私一人だけだった。
以後、卒業まであっという間に過ぎ、4月1日付けで
自衛隊の教育隊に行くことになった。
それは、約3か月間にわたる地獄のような生活の始まりだった。
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