少し前の事だが、急に思い立って古都・京都へ日帰り訪問してきた。
CMのフレーズではないが、「そうだ京都、行こう」と思い立ったのが
既に昼前だった為、かなりの強行軍になってしまった。
時間的に、ゆっくりできる余裕があるわけでは無かったが、
1人の気楽さもあって、お気に入りの京都東山近辺エリアを散策し、
なにか美味しい食事でも出来ればラッキーくらいに考えていた。
だが到着してみると、京都はいつも以上に観光客で大賑わいで、
どこを歩いても人!人!!人!!!で溢れかえっていた。
師匠に弟子入りし、伝統芸能に関わるようになってから、
京都へ行くことが本当に増えた。
京都に来るたびに、最近日本の至る所で話題になっているこの観光客の問題が、
年々深刻さを増しているという事実を肌で実感できた。
ほんの1年2年まえなら、ちょっとした抜け道程度の生活道路に
外国人観光客なんてほとんどいなかったが、今はどこの道にも
外国人観光客が目につく、というか目立っているのが現状だった。
これほどに、どこもかしこも町中が観光客でが溢れかえっていては、
実際に京都で生活している一般住民はうるさいし落ち着かないし、
本当に気の毒だと思った。
さて、私の場合は京都に来ると、まず京都駅から地下鉄に乗り換える。
次に四条駅で降りると、京都の一番栄えている四条通りという場所に出る。
そこからアーケードを東へ歩いて、京都河原町方面へ向かうというのが、
歩き慣れたいつものコースなのだが、とにかく、この日は人が多かった。
全然、前に進まないのだ。
時々、目の前を横切る観光客が引くキャリーバックに轢かれそうになりながら、
ドキドキしながらノロノロと歩いた。
観光客の人数が多すぎて、このエリアだけ完全に
京都の町の収容キャパを越えてるんじゃないかと思うほどだった。
余りの遅い歩みに、アーケードの真下を通る地下道へ降りた。
地下道からでも河原町方面へ向かえるのだが、この時点で既に、
どこにでもあるような地下道の景色に、気分はゲンナリしていた。
みんな考える事は同じようで、上のアーケードの混雑ぶりに対して、
地下道は魅力が無いのか、スイスイ歩けた。
この辺りも、もう少し風景の工夫をしてくれたら、
気持ちよく地下道を歩けるのにと、勝手なことを考えていた。
一度、新京極の辺りで、地下道から出てみたが、
びっくりするほどの人の多さに、慌てて再び地下道に舞い戻った。
結局、何の面白みも無い地下道を河原町まで歩き、
そこから外に出ると、そこも人で溢れかえっていた。
ノロノロとゆっくりと進む人混みに任せて歩き、河原町通、先斗町を通り抜け、
四条大橋を渡る頃には、もう京都に来てから1時間近い時間が過ぎていた。
この時間的ロスは大きく、帰宅時間が気になった。
本当なら、そのまま八坂神社へお参りしてから、時間があれば
石塀小路を抜けて、清水寺、高台寺へ行こうと考えていた。
時間が無ければ、清水寺方面をショートカットして、
八坂神社から直接に円山公園を抜けて知恩院、青蓮院と通って無鄰菴、南禅寺、
永観堂を通り、哲学の道を通って銀閣寺をまわる。
その後、市バスで京都御所へ向かい、そこで少し休むという
速足で約3時間半くらいの行程のつもりだった。
帰りは、すぐ近くの地下鉄に乗れるので、私のお気に入りの
京都日帰り東山コースだったが、今回は勝手が違った。
とにかく、人混みを抜けようと路地に逃げても観光客でごった返しており、
却って大通りを歩いた方が早いくらいだった。
よくテレビニュースで京都の観光の問題が放送されるが、
祇園周辺など、実際はもっと酷いというのが、私の印象だった。
結局、八坂神社は断念し、偶然捕まえることが出来たタクシーに乗り、
(タクシーも全然乗れない)京都御所へと向かった。
広い敷地の京都御所なら、少々観光客が多かろうが、
落ち着いて休むことが出来ると思ったからだ。
ちょうど良い具合にお腹も空いていて、京都に来るたびに
必ず食べようと思って毎回食べ損ねている京都御所の横にある
蕎麦屋に行きたかった。
だが、到着してみると、蕎麦屋の営業時間は終わっており、
結局、仕方なしにコンビニでサンドイッチとコーヒーを買い、
それで小腹を満たす羽目になった。
ベンチに腰掛けながら、何が悲しくてわざわざ京都御所で
コンビニのサンドイッチなんて食べなきゃなんないのかと思った。
そう思っても、まあ仕方がない。
こんな珍道中もたまには良いかな、
それはそれで、ネタ話にすれば良いだけだ。
タクシー代も含めたら、随分と高くついたサンドイッチだと思うと
なんだか笑いが出てしまった。
そんな事をしている内に、すっかり日も傾き、夕方になった。
もう、この頃には気持ち的に、かなりヤケのヤンパチになっていて、
腹が立って仕方がなかった。
わざわざ、京都に来て、人混みに揉まれているうちに時間だけが過ぎ、
このまま何も美味しいものも食べずに、黙って帰れるか!
ふざけるなヨ!と思った。
「こうなったら、夜遅くのギリギリまで京都にいてやろう」くらいに思っていた。
そうなると、あれほど気になっていた帰宅時間も、
人間、開き直ってしまうと、逆に「家に帰れりゃ良いや」ぐらいに
思ってしまうから不思議だ。
そうと決まれば、早速、東山方面へ戻った。
何時もの東山コースから外れてしまう平安神宮近辺をうろつき、
三条大橋を渡って、木屋町、先斗町をぶらぶらしながら
思わず飛び込んだ店の天ぷらが美味しかった。
腹が満たされると、大概の人間は心穏やかになるものだ。
ここで、京都に来てからの半日を振り返った。
日本人の私ですら、少しの移動にも観光客が多すぎるが故に
必要以上に時間がかかった。
全てにおいて混雑しているために、満足に観光も出来なければ、
きちんと食事も出来なかった。
これが言葉が通じない、日本語も読めないといった
外国人観光客の目線から見たら、大金をはたいてせっかく京都に来たのに、
はたして満足して帰ることが出来るんだろか?と疑問に思った。
宿泊施設を増やして、観光客が京都に泊まれるようにしたって、
その他の交通機関や、道路事情のインフラキャパなんて
すぐには変えられない。
とすれば、今のままでは、いつか国内外の旅行者からは
「京都はいつ行っても人で溢れていて、満足に観光も出来ないから他所に行こう」
というようになってしまうんじゃないか?と思った。
確かに、京都の町は、単に散歩でブラブラするだけでも、
風情があってそれなりに充分楽しめる。
だが、費用対効果を考えた時には、数十万も旅行代金を支払ってまで、
街をブラつくだけじゃ、割に合わないんじゃないかと思う。
逆に、これから今後、ホテル増やすのではなく、減らしてしまい
京都全体の宿泊者数を少なくしていった方が良いんじゃないか。
むしろ京都は、今とは逆に、町自体の価値をうんと高めていき
「是非、一度は旅行で訪れたいが、なかなか行けない町」
というようにした方が、却って良いんじゃないか?
素人考えとしては「予約のとれない店」ではないが、ハードルが高い方が、
結果的に、ずっと京都は人気を保てるんじゃないかな?とも考えた。
正直、今回はホトホト疲れ果て、出来れば用事が無い限りは
京都には行かなくても良いかな?とさえ、思ってしまった。
まあ、そうはいっても、また行ってしまうところに
京都の恐るべき魅力があるのだが・・それがいつまで続くかだ・・
この日は、結局、帰り道に新京極でたい焼きを食べて帰り、
家に着いたのは夜中だった。
次の日は、朝から稽古があり、
師匠に「実は昨日、京都に行ってきまして・・」と話したところ、
「そりゃ、こんな時期に京都なんて行ったら駄目だよ」と
笑われてしまった。
昨日に体験した京都の混雑ぶりを思い出し、
私のなかで、すでに落ち着いた古都のイメージが薄まってしまった。
もう既に、行きたい街から敬遠される街に、
京都が変わりつつあるのかと考えたら、少し悲しい気持ちになった。
でも、次の瞬間には、ほとんど風景写真も撮れなかったこともあり、
「今度こそ、人が少ない時を狙ってリベンジだ」とも、考える自分がいた。
何だかんだ言っても、どうやら恐るべき古都・京都の魅力にハマると、
なかなか逃れられそうにないらしい。
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