世の中には、正論だからと言って暴言まがいのきつい言い方をする奴がいる。
先に、結論を言えば、そんな事は許されないし、
こちらの問題を踏み台にして、相手に好き勝手言われる筋合いは無いのだ。
関わるだけ損をするし、仮に解決できなくても彼らは絶対に責任は取らない。
振り回されて疲弊するくらいなら、その場で喧嘩になっても拒絶しないと
困るのは、自分自身だ。
だが、そうはいっても、すぐに絡んできて、聞いても無いことを
べらべらと喋ってくる輩は、本当にどこにでも一定数、存在している。
暴言とは言わないまでも、それなりにきつい物言いや
正論や正当論を振りかざす人間も一定数いる。
それはそれで、一つの意見として聞いて、プラス部分を吸収し
自分の役に立てれば良いと思っている。
しかし、彼らが厄介なのは自分の正義や正当性、正論を
微塵も疑っていないのと、非常に押しつけがましい場合が多い。
「お前のため思って言ってやっている」という態度で接してきて、
相手の納得する返事をこちらが言うまで強要してくる場合も多い。
さらに、何か勘違いしているのか、正論であれば、正当論であれば
激烈できつい言葉遣いや、暴言まがいの言い方も許されると
思っているような甘えた節が見受けられるのも、彼らの特徴だ。
ようは、きつい言葉を言う事によって、
厳しく指導やアドバイスをしていると勘違いしているから
質が悪い。
そして、暴言まがいの発言や、激烈な言い回し方、
きつい言葉のキーワードを言う事によって、
さも自分たちは問題に対して真剣なんだというアピールをする。
彼らは常に、決め台詞のように言う。
「解決したくないの?」「本気でやる気が無いんだろ」
「困難に酔ってるんじゃないの?」「何迷ってるの?」
「そんなの簡単な問題だよ~!」
「こうすれば間違いないんだよ」「何で分かんないかな~?」
こちらの実情など、お構いなしに、彼らの正義をぶつけてくる。
確かに、正論や正当論をぶちかます内容に耳を傾ければ
「なるほど」と思わないことも無い。
だが、往々にしてそういう事を言ってくる奴は問題の渦中におらず、
大概は第三者だったり、無関係だったりする。
問題の渦中にいないからこそ、逆に言えば
合理的な判断も出来るのかもしれない。
もし、当事者や関係者がその合理的判断を下せれば、
問題の大半は片付き、彼ら正論信奉者が出る幕は無いのだ。
そして、当事者と第三者である正論信奉者との間には、
問題解決に対するスタンスが全く違う。
一言でいえば、当事者は如何にしたら問題を軟着陸、
つまりソフトランディングさせるかという
問題解決の終わらせ方に悩む。
正当論者は、単に問題解決だけを考えている。
これは大きな違いだ。
如何に禍根を残さず、双方の面子を潰さないように、または
同じ問題を繰り返さないように、あとで蒸し返されないように
「終わらせるか」という事に心を砕くのは、当事者だからこそ考える。
ただ眼前の問題の「単なる解決」だけを見てる第三者の正論信奉者では、
解決に向けたアプローチが全く変わってくるのに
彼ら正論信奉者は気が付かない。
発言に対する責任なんて取る気も無いくせに、やたらと急かしたり
「何で言うとおりにしないの?」とか無神経なことを言ってきたりする。
終いには「折角こっちが親切心で相談に乗ってアドバイスまでしてるのに、
向こうは全然解決する気が無いから参っちゃうよな~」
とか、周囲に平気で発言したりするから、開いた口がふさがらない。
だが、本当に親切心や、力になれないだろうかと考えて
アドバイスをしてくれる人間は、モノの言い方も細心の注意を払って接してくれる。
もう、退職されてしまったが、以前にお世話になった上司で
私より3,4歳年上の女性上司がいた。
その上司はやり手で、非常に厳しかったことで社内でも有名で、
「絶対に部下になりなくない上司№1」の不動の位置を占めていた。
ある日、人事異動でその人が上司として赴任してきたとき、
正直言って本当に嫌だった。
着任早々、その上司に叱られた第一号にもなってしまい、
しばらくは嫌々出勤していた。
だが、その上司の話は冷静に聞いてみると、どれも正論だが、
決して無理強いもせずに、一つの案として提案されるだけで、
常に後から振り返ると、その上司の言う通りという事が多かった。
そこで、意を決してその上司に業務上で悩んでいたことを相談してみた。
すると、確かにこちらの痛いところを突いてくるが、
自分の過去の失敗談などを織り交ぜながら、分かりやすく明快な言い方で
あくまでも提案という形で、
「もし、やり方を変えてみたいなら上司として全面協力します」という
スタンスだった。
そして、その通りに実行してみると、
何年にも渡って四苦八苦した業務上の懸案事項が、あっさりと解決した。
そして、その間にいくつか発生した問題も、その上司が
「私の指示でやらせてます」と会社に報告をしてくれていたお陰で、
良い形で一つの業務を終わらせることが出来た。
最初の懸念など、どこへやら。
私はすっかり上司を信頼してしまい、以来、何かあると常に
相談するようになっていった。
その上司に、一度正直にお尋ねしたことがあった。
「実は、最初はとんでもないキツイ人だから気を付けろ」
と周囲から言われていましたと、話すと、相手は笑いながら答えた。
「自分が社内でどういう風に見られているかは知っているけど、
それは相手が評価することだから仕方がない」
「きっと多分、私の言い方も問題あるんだろうけど、
相手の問題のボトルネックを指摘しすぎるんだろうね」
といっていた。
そして、気を付ける事として、上司であっても、相手のメンツは潰さない事と、
あくまで冷静に、そして具体的かつ明快な言葉使いを心がける。
必ず、自分の失敗談を交えながら、相手の問題点のボトルネックを、
自分ならこうするという、あくまでも提案という形にする。
そして、もし実行するなら全面協力を約束する。
という3つを守るようにしていると話していた。
これは、私の中でもその上司にならって、
今では守るべきルールとして使わせてもらっている。
そして、上司はこうも言っていた。
「人間頼られると、つい嬉しくなってしまい、
ついつい自分の力を見せびらかしたり、大きい事を口にだして、
自分を大きく見せようとしちゃう」
「だけど、それって自分を良く見せるために、相手が困っている事を、
ただ単に利用しているだけなんだよね。」
「ほら、私ってこんな問題も解決できるんだよ!凄いでしょ!ってね」と。
「でも、それって自分中心で、必ずしも相手の立場に立ってないんだよね。」
そして、こう言葉を付け加えていた。
「だから、もし自分の問題だったら、どうしようかなって視点は
絶対に忘れてはダメだし、正論って言えばいうほど、
相手は反論できないから、ストレスだけが溜まるんだよね」
「そりゃ、あなたのいう事は正論ですよ、ごもっとも、おっしゃる通り!でもね!」
ってなる。
「この、でもね!っていう気持ちを相手が持ったら、
もう何を言っても、相手の心には響かないどころか、恨みを買っちゃうだけだから」
「君も人にアドバイスするときには、気を付けてね。」
残念ながら、一緒に仕事をさせてもらったのは、約2年だけで、
その後は、ご家庭の都合で会社を退職されてしまったが、
今でも、私は敬意をもって時々上司に色々な相談事をしている。
とかく、問題を抱えていたり、誰かに相談したいような事があるときは、
大体、こちらが心身ともに疲弊している時が多い。
そんな時に、これ幸いと聞いても無いような事を言ってくる
正論振りかざす輩はいる。
そんな奴には、「ありがとう、でも自分で解決するから放っておいて」
くらい言っても、罰は当たらないだろうし、振り回されるだけだから
関わるべきではないという事だ。
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