引きこもりの日々を過ごしたことがある。
30代になって、すぐの頃だった。
当時、通っていた通信制の大学で、
どうしても取得したい資格があった。
その資格を取得するのに、少しの間、会社を休む必要があった。
大学を通して、別の施設に勉強に行くためだった。
そのために、少ない有休を限界まで貯め、
職場の責任者にも話を通した。
万全を期したつもりだった。
この資格を取得すれば、あとは卒業を残すのみだった。
長かった非正規社員の時代も終わり、これで就職できると思った。
しかし、結果は違った。
行く予定だった施設の担当者が、手続きをしていなかったのだ。
理由は、先方が異動の際に、引継ぎを忘れていた。
事態はそれだけに留まらなかった。
契約先の会社も、異動で上司が変わった。
そして、私の長期休暇は認められなくなった。
新しい上司の出した答えは、契約解除、つまりクビだった。
一方、大学側や施設も、手続きの不備を詫びてくれたが、
どうしようも出来なかった。
残された道は、2つあった。
一つは、来年に再度、手続きを行い、資格を取得するか、
もしくは、このまま資格取得は諦めて、卒業するかの選択だった。
私は、その資格が欲しくて卒業をしないで、学科変更までした。
だから、気持ちとしては来年に再チャレンジしたかったが、
契約を解除され、仕事をなくしたことで、お金に余裕がなくなった。
大学には、来年に資格取得ではなく、卒業を選ぶ旨を伝えた。
事態が収束し、有給消化に入ってから、やる気が全くなくなった。
最初は、「このままじゃいけないな」と考えていた。
そして、約束をたがえた職場に対して不満を持ち、
手続きを忘れた施設の担当者を恨んだりもしていた。
しかし、毎日家にいて、この先どうしたら良いのかという
気持ちの中で、喜怒哀楽の感情がだんだんと死んでいった。
「どうてもいい」
最後は、この一言で終わってしまうほどの精神状態になった。
毎日をゴロゴロとしながら過ごし、昼夜逆転の生活になっていった。
何をするわけでも無く、何をしたいわけでもない。
ただ、何だか分からないが、現状から逃げたくて仕方がなかった。
ネットで無料ゲームをしたり、漫画を読んだり、時間を持て余した。
「暇」
これほど、無為な時間というのは、苦痛で仕方がなかった。
さりとて、「さあ!仕切り直してこれから頑張ろう!」とは
ならなかった。
もう、頑張りたくなかった。
努力したり、頑張ることの意味がわからなかった。
頑張った先に、何があるのかが見えなかった。
そうやって、引きこもり、1週間全く外に出ないなんて日も
珍しくなくなった。
引きこもりはじめて、貯金が少なくなっても
気にならなくなっていた。
将来に備えた「いざという時の為の貯金」にも手を付け、
ひたすら外部との接触を断っていた。
髭も剃らず、服や下着なんて平気で1週間くらい替えなかった。
何もしないからお腹も減らず、2日も3日も食べないこともあった。
寝すぎると頭が痛くなるなんてことも、この時に知った。
何にもない状態になり、しきりに昔の事ばかり思い返していた。
学生時代、就職したときの事、正社員を辞めた時、
とにかく、人生で躓いた時の事ばかり思い返した。
自分は、いったい何のために、誰のために努力してきたのか。
結局、自分は誰かに(例えば親とか)認められたいが為に、
努力してきて、ただの一度も自分の為に努力したことが無いと
この時、初めて気が付いた。
そんな不純な動機で努力したって、出来るわけがないと思った。
どうせ駄目なら、今度は誰に何を言われようとも、
誰にも認められなかったり、解ってもらえなかったとしても、
自分の為だけに頑張ってみようかと考えるようになった。
もう一度頑張ってみようかなと思うようになったが、
では、どうやって今の生活を抜け出そうか答えが出なかった。
結局、引きこもり生活は1年近くつづき、終えた。
時々、ニュース等で引きこもりに関する事を見聞きするたびに、
当時のことを思い返す。
皆、色々な経緯から引きこもってしまったのだろうが、
「どうしたら良いか分からないけど、どうもしたくない」
というのが、当時の私の偽らざる正直な気持ちだった。
希望や期待が持てなくなってしまったら、どう足掻いたって
誰に何を言われようとも、二度と傷つきたくないから、接触を断つ。
つまり、引きこもってしまうのは仕方がないと思う。
でも、引きこもるという選択をしたのが、自分なら、
それをやめることが出来るのも、自分だけだという事だ。
「誰かが」ではなく、「自分が」という視点や考え方。
引きこもったことで、これに気が付けたのは幸いだった。
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