自衛隊に入ってから、自由になる時間は出来る限り勉強に当てた。
今は知らないが、当時の自衛隊は究極の体育会系の組織だった。
一日の終わりには、隊内の食堂でアルコールを飲むことが出来き、
ちょっとした、居酒屋みたいな感じだった。
毎晩、必ずそこで飲んでいたグループがいた。
そのなかの一人が、私と同室の先輩隊員だった。
結論から言えば、同室の先輩隊員とその仲間に手酷いリンチを受け、
三か月ほど入院をする羽目になった。
切っ掛けは、些細な事だった。
私が先輩からの飲酒の誘いを断り続けたのが原因だった。
最初は、仲間内での賭け事の誘いだった。
これは比較的、すぐに誘われなくなった。
しかし、飲酒の誘いは本当にしつこかった。
毎日断っても執拗に誘ってくるため、キリが無かった。
余りのしつこさに、ついにこちらが根負けし、一度だけの約束で、
グループの飲み会に参加した。
別に、酒を飲むのが嫌ではなかったが、勉強をしないという事が、
当時は、ひどく怠けているような強迫観念を持っていた。
今から思い返せば、別に一日くらいはどうという事でもないのだが、
その時はそうは思えなかった。
だから、しつこい誘いも今日限りと心に決め、飲み会の最初から、
徹底的に飲んだ。
かなり酔っ払い、トイレに行くために一度中座した時に、
トイレの中で滅茶苦茶に殴られた。
そのグループは格闘技の有段者ばかりだったので、
とにかく、怪我が酷かった。
最後は引きずられて階段から突き落とされた。
不幸中の幸いだったのは、痛みを感じなかった事だった。
泥酔状態だったので、殴られていた時も、どこか他人事だった。
「あ~、殴られてるな・・」と半ば夢心地のような感じだった。
結果として、あごの骨や顔の骨を三か所骨折し、
階段から突き落とされた事で、全身を打撲し、
どうやって宿舎に帰ったのかは、未だに思い出せない。
翌日は休日だったが、朝の点呼時に私が来ないのを不審に思った
当直幹部が私の部屋まできた。
そこでベッドで血まみれで寝ている私を見て、事が露呈した。
すぐさま病院に担ぎ込まれ、即日入院となった。
例のグループの言い分は実にくだらない理由だった。
私が勉強ばかりしているのが面白くなかった。
ただそれだけだった。
せっかく、こちらが誘っているのにもかかわらず、後輩の分際で
断ってくることも腹に据えかねたとの事だった。
当の私は、勉強をすることが、それ程周りに嫌悪感を与えていたという事に、
ひどくショックを受けた。
そして、外傷が原因で、一時的に片目が失明してしまったことも、
本当にショックだった。
これから、どうやって勉強の遅れを取り戻そうか、その前に、
目は治るのだろうか?
色々な事が頭をよぎり、先輩グループの事は、どうでも良かった。
この件に関して、自衛隊の組織としては、私が騒ぎ立てない限りは、
事を荒立てたくないとの事だった。
その代わり、怪我が完治したら何処でも好きな場所に異動させると
幹部が申し出てきた。
私は、形の上ではその申し出を受けたが、やる気が全く失せていた。
毎日、勉強しなければという気持ちが無くなっていき、同時に
自衛隊も、大学進学も、自分の将来もどうでもよくなっていった。
心が折れてしまったのだ。
結局、退院したのち、数か月後に退職の手続きをした。
退院した後は、退職するまで勉強も一切しなかった。
片目は視力がかなり落ちてしまい、それは今でも治っていない。
宿舎に設置されているテレビの衛星放送で映画三昧の日々で、
毎晩消灯後も映画を見続ける毎日だった。
本当に何もしない、というより、何もやる気が無かった。
皮肉な事に、退職したときには、傷害保険と見舞金やら何やらで、
驚くほどの金額が、口座に入っていた。
そして、満期除隊とはならないが、退職金もそれなりに入り、
大学には四年間充分に通えるだけの資金が溜まっていた。
資金は潤沢なのに、どうにもやる気が出なかった。
結局、帰るつもりのなかった実家に、帰宅した時のことは
今でも、忘れない。
とても、寒い日だった。
こうして、私の最初の就職は、色々な事情はあったにせよ、
不本意な形で幕を下ろした。
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