大分県日出町での児童体罰隠ぺい問題


Pocket


大分県日出町の小学生女子バレーボールの監督が児童に体罰を振るい、
更には県の連盟が調べもせずに「体罰なし」としたことが分かり
問題になっていたと先日、新聞で報じられていた。

これだけでも驚いたが、さらにびっくりした事が書かれていた。

それは、本来は子供の味方になるはずの一部の保護者が
指導者である監督や連盟と一緒になって、他の保護者へ体罰の事実を
外に漏らすなと保護者全員に誓約書にサインを迫ったという事だった。

なんでも、記事を読む限りにおいてはこのチームは
強豪校との事。

何のことは無い、単なる隠ぺい問題だと思った。

体罰の事実を外に漏らすなという事は、
少なくとも体罰は悪い事だと認識しているが故に
そういう対応をとった事がバレバレだ。

もしも、その監督に、彼自身の信念に基づいて
体罰も指導の一環であると信じて疑わないなら、隠さずに
徹底して体罰賛成の論陣を張って反対論者に対抗したらよい。

それも出来ないのに、偉そうに人を殴るなと言いたい。

私は、体罰は反対論者ではない。

私が腹が立つのは、体罰は教育的指導だという奴に対しては
本当に腹が立つし、許せない。

書いて字の如く、体に分からせる罰として叩くのだ。
だから、そんなものは教育である訳がない。

教育しても分からないから、叩くのだ。

最初からやるべき教育や、指導を行う努力を放棄し、
安易に相手を叩くことで教育したと思い込み、
それを指導だと強弁する奴は、教育者を辞めるべきだと思っている。

とすると、教育においては殴る行為という事は存在しえない。
なぜなら殴るという手段は、教育ではないからだ。

むしろ教育から離れて、言って聞かせても分からない奴が、
周囲に迷惑を掛けたり、誤った方向へ進んでいる時に、
止むに止まれずに最後の手段として、行使するべきものだと思っている。

そうなってこそ、体罰かどうかは、今度は周囲が判断することになる。

「なるほど、あの監督はここまで指導し、教育をして、
それでも止むに止まれず殴ったのか、それなら仕方がない」と。

今回は隠ぺいという手段にでたという事は、
その監督は安易に殴ったから、賛同を得られなかっただけだ。

一生懸命にバレーをやっている人には申し訳ないが、
殴られなきゃ出来ないなんて、児童も教師も共に
才能がないとしか言いようがない。

例えば練習中、何かのアクションが出来ない、何かの技が出来ない。

それは100%練習不足であり、「なんでわかんねーんだよ!」と
監督に怒鳴られて、殴られた瞬間から急に出来るようになる訳が無い。

もし、仮に出来たとしてもそれは恐怖から来る極度の緊張による
集中力で出来ただけで、本当に出来る訳では無い。

むしろ、練習中に出来ない事が判って、試合中でなくて良かったと
児童を安心させ、その後に集中的に弱点を消去法で一個ずつ
潰していけばいいと思っている。

そこに体罰が入り込む隙は無いはずだ。
 
殴られて強くなったり、バレーが上手くなるなら
最初から最後まで殴り続けばよい。

その方が楽でいい。

常に、誰かを殴り続けなきゃ成立しないクラブ活動なんて
辞めた方が良いのだ。

こういう隠ぺい体質や、安易な体罰を行う環境や空気が、
どんどん暴力を容認する世界を作っていく。

そして大義名分の前には暴力も許されるなどと、
勝手な解釈をする奴が作られていくのだという事に、
いい加減に気が付いた方が良い。

それに試合に負けても、命まで取られる訳じゃ無い。

負ける事で、将来勝てる要因を学べることもある。
負ける事で、より強くなることもできる。

だが、体罰という暴力は起きてしまった。

これは私見だが、単に監督が、児童が出来るようになるまで
辛抱強く待てなかったのだ。

これも私見になるが、この監督は勝負の勝敗が自分の見栄と
直結していたのだろう。

スポーツを通じて、勝つことの喜びを児童に知ってもらうために
監督として自分がいるのではなく、児童を出汁にして
自分が強豪校の監督だと自慢したり威張りたかったのだろう。

だから安易に殴ることで監督自身の気持ちにケリをつけたんだと思う。

そして、それに加担した親も親だ。

子供が頑張って認められることは良いことだが、
それは子供に帰するべき事であって、親自身の栄光ではない。

大体、出来なかった親に限って、子供に過剰な期待をかけるものだ。

何かの栄光が欲しけりゃ、自分の人生で頑張れよ、
自分のコンプレックスの為に、子供を出汁にするなと言いたい。

強くなるために、勝つためには殴られても仕方がない、
我慢しろなど、全く他人事だから言える事なのだ。

とても情のある人間の言葉とは思えない。

例えば「暴力を振るわれる」「学校・会社で虐められる」「嫌なことをされる」
そういう被害を受けた者の相談に対して、今回みたいな親は必ず言う。

「みんな大なり小なり経験するよ」
「仕方がない、会社(学校)はそんなものだよ、我慢しな」
「大したことじゃないでしょ、あなた一人が騒ぎすぎ」

そうやって、被害者の口を封じ込め、結果として犯罪を野放しにするのだ。

「強豪校だから」とか「勝てばよい、強ければ許される」など、
昔のタイガーマスクの歌じゃあるまいし、モラル崩壊も良いところだ。

こういう事は、どんどん明るみに出して、厳しく断罪されないと
今後はスポーツ競技自体が、人気が無くなって衰退していくだろう。

誰だって、何かあったら隠されて、無かったことにされるような
組織と分かっていて、本気で付き合うなんて嫌がるものだ。

ちょっと感情的に書いてしまったが、偽らざる自分の気持ちを書いた。

どうか、殴られた児童がバレーボールを好きなら、
嫌いにならなければ良いなと思っている。

コメントフォーム

名前

メールアドレス

URL

コメント

CAPTCHA


トラックバックURL: 
管理人 琴峰 一歩      プロフィール

Revtank Outtakes

現在、アラフォーの年齢になった。

10代は、いじめや人間関係に悩み、
苦しみ続ける孤独な毎日だった。

20代では、不安定な経済力や仕事で苦労し、不安な毎日を過ごした。

30代に入り、無職も経験した。
本当に人生を変えたかった。

人生を変える為に、やりたい事、 挑戦したい事は沢山あった。

ただ、それに反比例して、
どうしようもなくお金が無かった。

だから、お金を使わずにできる事。

自分自身の考え方を変えた。

まず、悩み続けた不安定な経済力、雇用関係が変わった。

次に、苦手だった人付き合いが
嘘のように活発になった。

長い間、変わらなかった現実が
突然ガラリと変わった。

今は、新しい人生の夢に向かい、
挑んでいる。

そして、それは少しづつ実現中だ。

 

 

ページの先頭へ