先日、年号が令和になり、最初のGWが10連休だった。
平成の最後に、ニュースを見ながら、ふと昔を思い出した。
今でこそ、正社員として働いているが、非正規雇用の頃は、
本当に連休が辛かった。
そして、怖かったというのが、当時の偽らざる気持ちだった。
本当なら、休日は嬉しいはずなのに、全然嬉しくなかった。
理由は、単純だった。
ただ単に、お金がなかったからだ。
休暇になると、働かない分の給料は当然発生しない。
分かっているが、同じ職場の正社員とくらべ、惨めさを感じた。
「同じ仕事をしているんだけどな・・」
雇用関係が違うといえば、それまでだが、正直、そう思っていた。
テレビのニュースなどで、大型連休の特集などをみると、
自分には関係がないと思えば思うほど、イライラした。
当時は、三連休くらいだとサイパンやグアムに行くのが
一種のブームだった。
そして、必ず連休になると、大混雑の空港がテレビで中継された。
自分と同じくらいの年の人間が、大きなスーツケースを抱えて
楽しそうにしている姿を画面越しに見ながら、
多少の嫉妬も交えて、「まあ、私には関係ないや」と思っていた。
当時は海外なんて夢の話でパスポートすら持ってなかった。
それよりも、どうやったら出費が防げるのかという事ばかりを
考えていた。
休暇が訪れるたびに、お金の心配をするのは正直、ストレスだった。
当時は、幸いにして、積極的に外に出ていくわけでもなく、
外出しないという選択をすることが、イコール我慢ではなかった。
ただ、それも三連休とか、せいぜい四連休くらいの事であり、
GWやお盆休み、年末年始の休暇など一週間くらい続く休暇になると、
話は別だった。
そのぐらいの長さになると、もやは休暇は恐怖の対象だった。
休暇の長さが、減収に直結するからだ。
そして次に、職場で休暇の話をするのが鬱陶しかった。
「連休はどうするの?」という問いかけに、
「まあ、適当に過ごします」
と答えるのが精いっぱいだった。
まさか、「お金がないから、休みの日は一日中寝ています」とは
言えるはずもなく、笑ってごまかしていた。
笑いながら、「正社員のお前とは違うんだよ!」と毒気づいても、
状況が変わるわけでもなく、自分が虚しいだけだった。
休暇になれば、なったで、思い立って近場でドライブなどしても、
車を走らせるほどに、減っていく燃料メーターをチラ見し続けた。
「行先も決めないで、車なんて乗らなきゃよかった」と後悔した。
帰り道にセルフのGSで、車にガソリンを入れながら、
行楽帰りの家族連れや、デート中の同世代くらいが乗っている
車をみながら、何となく上手く言い表せない気持ちになった。
後悔というか、情けない気持ちというのか、よくわからないが、
決して良い感情ではなかった。
最後に、家の近くのコンビニに立ち寄って、
いつもより少しだけ高いデザートを買ったりするのが、
当時の自分にとって、関の山だった。
そして、決まって連休の最終日には後悔ばかりだった。
「将来に向けて資格試験の勉強すればよかった」等々
「読もうと思っていた本が全然読めなかった」等々
「明日から出勤なのに、どうしよう・・全然寝れない・・」等々
「もっと、連休を有意義に過ごしたらよかった・・」
結局、本当に何もしないで連休が終わってしまい、
後悔と寝不足の目をこすりながら、出勤した。
出勤したら、また職場の人間と休暇の話をして、
「どこいったの?」から始まり、
「まあ、のんびり過ごしましたよ」といった、
当たり障りない定型文のような会話を繰り返し続けた。
今から思い返せば、もっと休暇の過ごし方にも工夫の余地は
あったと思う。
しかし、「非正規だから」とか、「お金がないから」とか
そういった外的な要因ばかりに目が向いてしまっていたと思う。
もちろん、非正規やお金の有無は大事だが、それを嘆いても
何も変わらない。
だが、それ以外に、どうしたら良いかなんて
誰も何も教えてもくれなかったし、自分で答えを見つける努力すら
考えも及ばなかった。
ただ、辛くて悲しくて、「正社員だったら、違うはずだ!」と、
そう思っていたほうが、誰かの責任や環境のせいにしていた方が、
ハッキリ言って自分が楽だった。
そう思っている間は、何も変わらなかった。
そして、私のとって大型連休や休暇は、
楽しいものではなく、ずっと恐怖の対象でしかなかった。
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