嵐のパワハラ、怒涛の副業


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「ノルマ不達のパワハラに耐える営業職の女性」の写真[モデル:Lala 大川竜弥]

まさか、どうしようもない馬鹿がいる職場なんて、
就職したした時は思いもよらなかった。

最近はニュースなどで、世の中で色々なハラスメントが
横行していると報道されている。

実際、パワハラなんて横文字で体よく表現しているが、
要は職場内暴力だ。

それも反撃できない相手にやるような卑怯極まりない行為だ。

そもそも、そういう卑怯者は、自分より立場が高い奴や、
力が強い奴、反撃してくるような奴には絶対にやらないし、
やり返されたらケンカになる。

ケンカするのは嫌だけど、鬱憤やストレスは解消したい。

だから、自分より弱い奴だったり、立場が低い奴を狙う。

1人では心細いが、複数でやれば罪の意識も薄くなる。
仮に問題になっても、自分一人が罪をかぶるワケじゃない。

一見すると賢いリスクヘッジだが、実際にやる奴は馬鹿の極みだ。

だが、実際、自分の身にパワハラとして降りかかってくるまでは、
にわかには信じられなかった。

それほど、働き始めてから、最初の4,5か月は
順調すぎる程、順調な状況だった。

風向きが変わったのは、人事異動で新しい上司が来てからは
状況は一変した。

その上司は、私が通信教育をしていることが嫌だった。

ある日、上司に今後の事で話があるからと、会議室に呼ばれた。
最初は、正社員への登用後の仕事のことについてだと思っていた。

だが、そこで言われた事は、会社か通信教育かの
二者択一を採れとの事だった。

理由を尋ねると、上司は高卒として頑張ってきたから、
お前も、学校なんかに行かずに、高卒で頑張れとの事だった。

この人は何を言っているのかと理解できなかった。

そんな事は到底受け入れられないと上司に告げた。

その時は何事も無かったが、6カ月の試用期限を過ぎてから、
アルバイトへ格下げになった。

驚いて、会社に理由を尋ねると、アルバイトへの変更は
私から言い出したことになっていた。

もちろん、この件は問題になったが、3か月我慢してくれたら
必ず社員にするから、なんとか穏便にしてほしいとの事だった。

それからは、残りの3か月間、何とか私を辞めさせようと
上司と、その取り巻き連中による、嵐のような執拗なパワハラが始まった。

無視、恫喝、つるし上げ、ミスの擦り付け、毎日数時間に及ぶ
指導という名のイヤミと文句、ありとあらゆることをされた。

本当に辛かったが、3か月の我慢だと自分に言い聞かせて
会社に行き続けた。

もう辞めてしまおうかと何度も考えたが、
意地だけで会社に通い続けた。

だが、ようやく正社員になったら、それで終わりではなかった。

今度は仕事を取り上げられ、やる事がどんどん少なくなっていった。

当然、業績は上がらない。
結果、評価を下げられた。

実にやり方が巧妙だった。

後から分かった事だったが、上司は自分の意に沿わない奴は、
徹底的に標的にして退職に追い込むか、自分の家来にするか、
それのどちらかを、常にしてくるような奴だった。

上司と一緒になってパワハラをしてくる連中は、
奴の軍門に下った家来という事だった。

もちろん、会社に訴えても無駄だった。

タチが悪いことに、その上司は仕事は出来たからだ。

当時、今ほどコンプラなんてうるさく無かった時代の話だ。

会社や上司と喧嘩しても、勝てる道理はなかった。

従って、会社の回答は、
「約束通り正社員にはした、あとの評価はそれとは別物」
との事だった。

ここで、一つの判断を迫られた。

このまま、会社に残るか、新たな働き口を探して辞めるかである。

結局、辞めるにしても大学だけは続けたかった。

その為には、ある程度の収入が必要だった。

そこで「副業」するという、ひとつの結論に達したのだった。

次に、何を副業にするかだったが、昼間は会社勤めのため、
必然的に夜働くしかなかった。

そうなると、かつて働いた水商売しかなかった。

こういった経緯で、また再び、私は水商売の世界と関わることになった。

このパワハラ地獄を一日も早く抜け出すために、
迷っている時間はなかった。

三年近い年月が過ぎていたが、久しぶりに思い切って店に行くと、
まだ知っている顔が残っていた。

当時世話になったママを始め、マネージャー、数人のホステスが
残るのみで、他はキレイに入れ替わっていた。

事情を話すと、オーナーもママも働くことには賛成してくれた。
ただ、働く場所が違った。

系列店というか、オーナーは同じだが、コンセプトが違う店が
新たに数店舗出来ていた。

そこのマネージャーが退職するため、代わりに責任者として
私に働いて欲しいとの事だった。

最初は軽く働くつもりだったから、拘束時間を聞いて迷ったが、
かつて困っていた私を雇ってくれて、今また頼ってくれることが、
素直に嬉しかった。

でも、結局それから三年ほど水商売を続ける事になるとは、、
その時は思いもよらなかった。

前回の時は未成年だった。
周りに守られて、汚い部分はなるべく見ないでも済んだ。

だが、今度は責任者として採用され、なおかつ成人していた。

最初に経験した水商売なんて、ハッキリ言ってお遊びだった。

今度は当然、お酒も飲むし、求められるホステスの管理の厳しさも
当時とは段違いだった。

時間も、毎日ラストまで勤め、帰るのは朝三時とか四時だったし、
何かトラブルがあれば、そのまま寝ずに会社に行くこともあった。

人間関係も、ややこしい絡みが増えて毎日胃が痛かった。

本当に濃い三年間で、今でも忘れられない怒涛の三年間になった。

余り思い出したくないような、人として、どうしようもない
別れも経験した。

こうして再び、夜に働き始めて収入が激増し、
ある程度の金銭的余裕と、精神的余裕が出来るようになった。

仮に、夜だけでも充分に生活が出来る事を見越してから、
会社を退職した。

例のパワハラ上司は、その後もあちこちでパワハラまがいの事を
し続け、最後に手痛いしっぺ返しを食らい、手が後ろに回った。

その事実を知った頃は、水商売も辞めて非正規社員として働き始めた頃だった。

琴峰一歩のプロフィール Vol6


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現在、アラフォーの年齢になった。

10代は、いじめや人間関係に悩み、
苦しみ続ける孤独な毎日だった。

20代では、不安定な経済力や仕事で苦労し、不安な毎日を過ごした。

30代に入り、無職も経験した。
本当に人生を変えたかった。

人生を変える為に、やりたい事、 挑戦したい事は沢山あった。

ただ、それに反比例して、
どうしようもなくお金が無かった。

だから、お金を使わずにできる事。

自分自身の考え方を変えた。

まず、悩み続けた不安定な経済力、雇用関係が変わった。

次に、苦手だった人付き合いが
嘘のように活発になった。

長い間、変わらなかった現実が
突然ガラリと変わった。

今は、新しい人生の夢に向かい、
挑んでいる。

そして、それは少しづつ実現中だ。

 

 

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