友達がいなくて寂しいと思ったのは、
ちょうど中学でいじめを受けて悩んでいた頃だった。
友達がいない=孤独である...
というように、勝手に思い込んでいて、
ひどく恥ずかしく、人として情けないと思っていた。
実際、学校でいじめられて、自分の居場所なんて無かった。
周囲が敵ばかりの中で、毎日を過ごさなきゃならないのは、
本当に苦痛という言葉では表現が出来ないほど、
悲しかったのを覚えている。
友達がいないという現実が
何か自分という存在が、社会から拒絶されて
ダメ人間のレッテルを貼られているような気持だった。
とにかく、私の人生を振り返ってみると
子供の頃から、ずっと孤独だった。
そんな環境で過ごしたせいだろうか...
いつしか私には、一つの夢のようなものを
持つようになっていた。
もちろん、そんな夢は世間一般で見れば、
取るに足らないものかもしれないが
私にとっては、是非とも実現したい夢だった。
その夢とは、どのような夢だったのか?
それは、友達に囲まれて楽しく毎日を過ごすという事だった。
実際、どう楽しく過ごすのか、
自分にとって、何が楽しく過ごせることなのか、
理解すらしていなかった。
友達に囲まれて何をしたいかなんて、
そんなコムズカシイ考えは二の次だった。
ただ無味乾燥で、感情の起伏もなく
あるとすれば無力感や孤独感、失望感...
そんな感情に心が支配されているのを
自覚しながら、毎日毎日生きていく...
人生80年は、私にとってはあまりに長すぎる
拷問のような時間だと思っていた。
そのうち、友達がいれば
人生の大半の悩みや問題は
すべて解決するんじゃないか?
私の不幸の原因は、
友達がいないからなんじゃないの?
などと、馬鹿な考えを持つようになっていった。
実際は、そんなことは無いのだが、
もう寂しさや孤独感と戦うことに
疲れ切っていていた。
人間関係に苦しみ続けるのは、
社会人になってからも、しばらくは変わらなかった。
だが、もう孤独は真っ平ごめんと
磨きに磨いた人間関係のスキル。
そのおかげで、周囲には友達だと呼べるような人間に
いつの間にか囲まれるようになった。
しかし今度は、その友達が
私の不幸や悩みの種になってしまった。
友達という仮面をかぶった
自分にとって敵のような存在の人間も
ただ「友達」というだけで
切り捨てることが出来なくなっていた。
結局、孤独を恐れるあまり、周囲の顔色をうかがい
自分を殺してひたすら良い人を演じ続けた結果、
私は精神科の門を叩くようになってしまった。
友達がいなくて寂しいと悩み、苦しみ続けてきたのに
願った通りに友達に囲まれると、今度はその友達に悩まされる・・
結局、引きこもりまで経験し、
人間関係そのものに絶望してしまうまで
「友達」というキーワードに振り回され続けてしまった。
今の私は、友達はいると言えばいるし、
いないと言えばいない。
正直、どちらでも良いと思っている。
友達の有無で私の価値は決まらないし、
孤独感や失望感なんて、結局は自分自身の問題だ。
だからといって、友達の存在を全く否定するつもりもない。
ただ自分自身の過去に、厳しく問い質してみると
私は単に、自分の承認欲求を満たす対象として
友達を求めていたにすぎない。
自分の不安のはけ口や、何かあった時に
相談という名の不安解消を、友達に求めていたにすぎない。
それなら、不安解消のための相談窓口なんて
世の中にいくらでもあるし、自分の承認欲求を満たす方法なんて
友達に求めなくても、他にいくらでも方法はある。
では、結局何が言いたいんだ!と問われれば
私は「自分の理解者」を増やすことだと思っている。
自分の理解者は、必ずしも友達である必要性はない。
むしろ、友達でない方が本当の意味での
自分の理解者になってくれるかもしれない。
その為には、私自身も周囲の人にとって
一番の理解者でいることだと思っている。
結局、人は自分の事をよく理解してくれる人を
裏切ったりないがしろにすることは出来にくい。
そういった理解者を1人でも増やすことが出来れば
人生はグッと楽しくなってくる。
むしろ、「友達」という言葉に隠れて
自分の事をわかってくれない人間なんて
いない方が良い。
コメントフォーム