人と関わるのが苦手だった


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そもそも、昔から人と関わるのはとても苦手だった。
 
何故そう思うようになったのか、今から思い返してみると、
理由みたいなものはあった。
 
それは人との関わり合いの中で存在する予定調和というか、
お約束のようなやり取りが、私には酷く苦手だった。
 
例えば、職場などで隣の席の同僚から文具などを借りたとする。
 
「ゴメン、ちょっとホチキス貸してくれる?」
「あぁ、はいどうぞ」
 
このように、借りる側は相手が要望を断らない事を
常に前提にしているし、貸す側も、余程のことが無い限り
無下に断る事などはしないだろう。
 
 
モノの貸し借り以外にも、例えば子供の頃のお約束で
「一緒にトイレ行こう!」などというのも
同じようなものだろう。
 
そしてこれが大人になると「おい!ちょっと飲みに行こうぜ!」
という感じで、誘い誘われという事は往々にしてある。
 
この場合、相手の要望や願望に応えている間は
さして大きな波風は立たない。
 
また相手が分別がある人間なら、
仮に要望に応える事が出来なかったとしても
特に問題は起きないだろう。
 
だが、世の中そうは上手くいかないもので、
断ることに関して、異常に怒りをぶつけてくる人間は多い。
 
文句を言ってくるにしても「何でだよ!別に良いだろ!」
くらいなら、まだカワイイ方だろう。
 
だが多くの場合は、要望に応えなかったことに対してではなく、
「私の頼みや誘いを断った」という事に対して文句を言ってきた。
 
そして、場合によっては私の人間性まで全否定されたり
その後は常に悪意を向けてくるようになったりした。
 
こういった事態に直面するたびに、私はとても困惑した。
 
ただ単に、今回は相手の要望や誘いを断っただけの事で、
何故酷い事を言われたり、嫌がらせのようなことをされるのか、
到底理解できなかった。
 
こういう話をすると、必ず一定数の人間は
「お前の言い方や断り方が悪かったんじゃない?」
というような事を言われたりもする。
 
もちろん、相手に対して私の断り方や言い方にも
きっと問題はあったのかもしれない。
 
確かに、世の中には「体よく断る」といった
断りの名人のような人間もいるのも事実だ。
 
 
だが、そういった断り方とか方法論的な事を含めて

朝から晩まで、毎日あれやこれやと人付き合いに関して、

日々思い悩むこと自体が増えていった。
 
そして最後は、人に対して自分自身の思いや感情、
意見などを表に出す事自体が、とても怖くなってしまった。
 
もうそうなると人付き合いというよりも
人と関わる事自体が、私のストレスとなっていった。
 
結果、私の出した答えはより良い人付き合いを含めた

人間関係そのもの構築を目指すのをやめてしまった。

 

むしろ全く逆に、人付き合いや他人との関わりを

可能な限り排除していく方向へと突き進んでいった。


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管理人 琴峰 一歩      プロフィール

Revtank Outtakes

現在、アラフォーの年齢になった。

10代は、いじめや人間関係に悩み、
苦しみ続ける孤独な毎日だった。

20代では、不安定な経済力や仕事で苦労し、不安な毎日を過ごした。

30代に入り、無職も経験した。
本当に人生を変えたかった。

人生を変える為に、やりたい事、 挑戦したい事は沢山あった。

ただ、それに反比例して、
どうしようもなくお金が無かった。

だから、お金を使わずにできる事。

自分自身の考え方を変えた。

まず、悩み続けた不安定な経済力、雇用関係が変わった。

次に、苦手だった人付き合いが
嘘のように活発になった。

長い間、変わらなかった現実が
突然ガラリと変わった。

今は、新しい人生の夢に向かい、
挑んでいる。

そして、それは少しづつ実現中だ。

 

 

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