常識的という考え方


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「揚げ足をとっては指摘してくる悪質なクレーマー」の写真[モデル:大川竜弥]

「常識的に考えて、それってどうなの?」とか、
人付き合いの中で相手に対して、時々主張する事がある。

 
この場合、色々なケースがある。
 
例えば相手を責める時だったり、噂話や誰かを悪くを言う時などで、
この「常識的」という言葉はよく耳にしたりする。
 
確かに、例えば一般な常識に照らして考えれば、人付き合いの中で
非常識だと思われる言動や、態度というのは実際にはある。
 
 
ただ私の経験上、人付き合いの中で「常識的に」という言葉で
相手の言動や態度に対する指摘で、的を得ていた事は
全体のうちで、半分くらいだったと思っている。
 
残りの半分は「常識的」と主張する人間の立場など、
組織の中の力関係を確認する上で使われていた事が多かった。
 
 
例えば、学校であればクラスでのボス的立場の人間だったり、
会社なら上司であったり、重要な取引先の担当者だったり…
 
単に「俺の考えが全てだ!」などと言わずに、実に巧妙に
「常識的」をいう言葉を使って、相手を攻撃してくるのだ。
 
いきなり言われた側はたまったものではない。
 
何故なら、人は誰しも「常識的」でありたいと思っているからだ。
 
誰もすき好んで「私は非常識人間だからさ!」などとは言わない。
 
現に、今の世の中でも常識やマナーに関する講習や教室など
ゴマンと存在しているのが良い例だろう。
 
だから面と向かい、相手から「常識的に考えてさ~」と言われると、
「え?なんか失礼な事をしたかな?」と一瞬、思考停止してしまう。
 
なぜなら相手から、暗に「お前は非常識な奴だな」と
言われているように感じてしまうからだ。
 
言われた側が、本当に常識があるのか、単に非常識なのかは
この場合大した問題では無いのだ。
 
単に、相手は「常識」という言葉を都合よく振りかざして
こちらに非があるように思わせ、自分の要求を満たそうと
しているに過ぎないだけの話だ。
 
今になってちょっと冷静に考えれば、
こんな事は、何てことは無い問題なのだ。
 
だが、人付き合いに悩んでいた頃、私にとっては大問題だった。
 
 
私は周囲から、長い間この常識的という言葉を言われ続けてきた。
 
人と関わるたびに、もしかしたら自分は酷く非常識な人間なのかと
次第に考えるようになり、とても辛かったことを覚えている。
 
社会に出た頃は、パワハラやセクハラなどといった言葉は
まだ一般的には認知されていなかった。
 
だがその後、パワハラやセクハラという言葉が
世の中で一般化するに従って、人付き合いというものが
実に巧妙で手の込んだ、非常にめんどくさいモノ…
 
そんなように変わっていった感じを受けた。
 
 
こういった人付き合いというか人間関係で、
他人から常識論をぶちかまされる様な出来事も
私が人と関わる事がが大嫌いになる要因の一つでもあった。


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管理人 琴峰 一歩      プロフィール

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現在、アラフォーの年齢になった。

10代は、いじめや人間関係に悩み、
苦しみ続ける孤独な毎日だった。

20代では、不安定な経済力や仕事で苦労し、不安な毎日を過ごした。

30代に入り、無職も経験した。
本当に人生を変えたかった。

人生を変える為に、やりたい事、 挑戦したい事は沢山あった。

ただ、それに反比例して、
どうしようもなくお金が無かった。

だから、お金を使わずにできる事。

自分自身の考え方を変えた。

まず、悩み続けた不安定な経済力、雇用関係が変わった。

次に、苦手だった人付き合いが
嘘のように活発になった。

長い間、変わらなかった現実が
突然ガラリと変わった。

今は、新しい人生の夢に向かい、
挑んでいる。

そして、それは少しづつ実現中だ。

 

 

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