何かが違う。何故か他人に馴染めない…
私がそう自覚したのは人生の割と早い子供の時期だった。
私は物心が付いた時分から、好き嫌いなど心の中の考えや思いは
他人よりも割と強かった。
ただ私の場合は、他人にそれを上手く表現できなかった。
だから他人と関わる事は、相手の考えに引きずられてしまう事、
それを我慢して付き合うのが、人付き合いだと思っていた。
大体において、集団の中で物事を決めていくのは押しが強い人間だ。
そして物事を決める中心的人物の押しが強ければ強い程、
周囲には、取り巻きのような、太鼓持ちのような人が集まってくる。
そして、そんな集団の中で形成されていく同調圧力のようなものが、
私にはひどく残酷で、耐えられないものだった。
みんな心からそう思い、納得して物事を決めたのなら別に構わない。
だが、私の周りでは実際はそうでは無い事が多かった。
仲間外れになるのが嫌で、中心的人物の気分1つで決められた事を
同調圧力の中で、ただ唯々諾々と従っているだけで
そんな中で、100%の賛同を表明しないと大変なことになった。
「何か不満があるのか?」とか
「みんなで決めたのに何で嫌なの?」など、非難の嵐だった。
そこには、単に賛同しなかった事について責めるのではなく
「私だって我慢しているのに、なんでお前は我慢できないんだ!」
といった我慢する事への同調圧力が感じられ、本当に不快だった。
この「みんなそう思っている」「みんな我慢している」
そういった同調圧力には、最後まで馴染むことが出来なかった。
長い間そんな事が何度も続くうちに、もう修行僧のように
自分の心を押し殺し、人と関わっていくことが時間の浪費というか
人生の無駄のように感じていった。
一度そう思うようになってしまうと、
自然と周囲にはそれが伝わってしまう。
結果、どうなるかといえば「スカした奴」とか「気取り屋」と
陰口を叩かれるようになり、いじめられるようになった。
だが仲間外れにされるだけなら、まだ我慢できた。
しかし、いじめられるのは耐えられなかった。
しかもその原因が、周囲の他人と馴染めない事が、
カッコつけてるとか、我が儘だと言われての結果だ。
確かに、上手に人間関係というか、人付き合いをすることが
出来なかったのは仕方がない。
しかし、だからといって悪口を叩かれいじめられるのには
納得がいかなかった。
そして、そんな原因になった他人との関わりや人付き合い、
人間関係の全てに対し、何とか解決したいと思い悩むようになった。
そして、人間関係にそういう強い希望というか願望を持ちながらも、
同時に、それと同じくらい深い不信感と持つようになっていった。
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