当時働いていたお店は、本当に色々な人間が客として来ていた。
客と接することで、色々と教えてもらい勉強になった事や、
逆に「ああはなるまい」と反面教師になるような事も多かった。
ホールの仕事は、人間同士の接点が格段に多かった。
最初は本当に嫌だったが、仕事と割り切ることで
何となく別人格というか演技というか、気持ちを切り替えることで、
人と話せるようになった部分もあった。
だが、普段の生活や学校では、全く人と関わる事は駄目だった。
特に当時、世の中で流行りだしていた女子高生のスタイル、
ルーズソックスにソバージュスタイルの女子が苦手だった。
極力、人と喋らない生活を昼間は送っているのに、
夜になると、それは逆転した。
お店に行くと、女子高生なんて足元にも及ばない、
もっとギラギラしたホステスを相手に喋りまくるのだ。
今から考えると、不思議だったが、「イチ」と呼ばれることで
違う人間になっている気がした。
ホールでは、毎日が本当に忙しかった。
とにかく色々な客がいる。
優しい人、厳しい人、ゲス野郎、本当に千差万別だ。
当時は、社会的地位の高い人は、同時に高潔な人だと思っていた。
だが、実際は地位と人格、収入と性格がチグハグな人が多かった。
感覚的には、お金を持っていると思われる人は、優しい人が多く、
社会的地位が高い人は、性格が悪かったり、ゲス野郎が多かった。
大体、いつもホステスが嫌がる客だったり、トラブルを起こす奴は
何時も自分の地位を鼻にかける人間が多かった。
そういう客には、「お前の対応は何だ!」とか怒鳴られたり、
ホステスとのトラブルで、仲裁に入ってぶん殴られる事も何度かあった。
アイスペールの置き方が悪い、灰皿を交換する手つきが悪い。
返事の仕方が気に入らない。
まあ、酔っているとはいえ因縁つけるような絡みをしてくる客も多かった。
人間不思議なもので、最初は怖くて仕方がなかったが、
いつの間にか慣れるものだ。
自分なりの嫌な客リストが頭の中に出来てくると、
それなりの対応が出来るようになり、些細なことで文句を言われることは減った。
その中で、今でも役に立っている事を教えてくれた人がいた。
Tさんという40代くらいの客だった。
ちょっと近寄りがたい雰囲気で、結局どんな人なのかは最後まで分からなかった。
とても大人しく飲むスタイルで、ホステスが隣にいても余り会話が無く、
黙って酒を飲み続けるような人だった。
例えていうなら野武士のようなイメージの人だった。
当時、私は人と話す時、極力相手の目をみて話すようにしていた。
相手の目をみることで、相手の表情とかで感情を推測していた。
ある日、Tさんのテーブルに新しいボトルを運んだ。
一言二言、言葉を交わしてTさんの目をみた時に、突然言われた。
「おまえ、何、人の目をみてモノ言ってんだよ」
何を言われているのか意味が判らなかった。
「失礼しました」というのが精いっぱいだった。
「相手の目を見るな」Tさんがそう言うには、
次のような理由があった。
相手の目をみて話せというが、それは嘘だ。
それは場合によっては、相手に威圧感を与えたり、委縮させたり
良いことなんて一つも無いと。
だから、相手の鼻筋のあたりを見て喋れとの事だった。
これなら、相手も目を見られているようでそうじゃなく、
しかも、しっかりと顔を見て話しているから、
そうそう因縁は付けられないと。
「動物だって、目が合った瞬間に襲ってくる奴だっているだろ」
「人間だって、同じことよ」
「筋の悪い奴なら、何、ガン飛ばしてんだよ!ってなるだろ?」
少し笑いながら、Tさんが喋っていたのが印象的だった。
それからは、気を付けて相手の鼻筋を見るようにしての会話を心がけた。
Tさんは、普段からあまり頻繁に店には来ることはなかった。
来てもテーブルにはホステスが一人と決まっていた。
来店しても30分とか1時間弱くらいで、割と短い時間しか滞在しなかった。
Tさんが来店していても、私はほとんど接触する機会はなかった。
大分経ってから、珍しくTさんが何人かの人を引き連れて
店に来た時があった。
その時、私を含め数人がテーブルを出入りした。
Tさんと言葉を交わしたとき、私はTさんの鼻筋をみていた。
「あぁ、よろしく頼むよ」と言いながら
ニヤッと笑ったTさんの顔は今でも覚えている。
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