知ってるつもり


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「空を見上げて考え込むヘルパーの女性」の写真[モデル:yumiko]

相手を知るという行為は、良い事である反面、怖いことだと思う。

それは、どこまで知っているかが判らない部分があるからだ。

特に、人の評価する際、「知ってるつもり」というのは

都合よく自分の中で「知っている」に置き換えられてしまいがちだ。

これは本当に怖い。

みんな、それぞれ色々な顔を持っている。

家庭での顔、学校や会社での顔、友人にみせている顔、
恋人にみせる顔、それぞれのシーンで意識して、もしくは無意識に使い分けている。

なかには「私は全く裏表はありません、いつも同じです」

という人もいるだろう。

ただ、それは他人に見せられる顔を決めているというだけで、
内面全てをさらけ出すというのとは、意味合いが全然違う。

誰しも、当たり障りない自分というのを演じているだけだ。


ただ、厄介なのは、それを見せられた周りの人間は、
見えている顔の部分だけで、その人を判断してしまいがちになる。


更にその判断は、思い込みという形で相手を評価し、
一旦下した評価は、何の裏付けも無く相手の全人格すべてに及びがちだ。

そうして一旦決めつけてしまうと、後から色々な情報として

相手の性格や違った一面を見出しても、中々その評価を覆すことが出来ない。

つまりレッテル貼りだ。


お店で働いている時に、一度だけママから叱られた事があった。


それは、Yさんというホステスに対する私の思い込みや評価が、

ママやマネージャーと、全然違っていた事が原因だった。

Yさんは、私より半年ほど後に、お店にやってきた人だった。

彼女は働き始めてから、時々、出欠や勤務時間が不規則になる時があった。

確かに、最初にYさんについては、

普段からみんなと同じような勤務は難しいと聞いてはいた。

聞いてはいたが、詳しい事情はあまり分からずにいた。

実際、Yさんがお店で働き出してから出勤日に突然休んだり、

いると思ったら、帰ってしまったりした事を見ていると、

正直いって、あまり良い気分ではなかった。

 

一旦不規則になると、それがしばらく続く時もあれば、

そうで無い時もあった。

事前に聞いていた電話に連絡をしても、誰も出ないなんてことも

しょっちゅうだった。

現在のように携帯電話が普及していたわけでもなく、

ポケットベルがようやく普及したころだった。


今よりはるかに、個人に簡単に連絡がとれる時代ではなかった。


ある日、Yさんから出勤するという連絡が入ったあとに、

Yさん目当ての客が来店した。

本人が出勤すると聞いていたため、

他のホステスさんに場つなぎをしてもらっている間に、

Yさんから再び連絡が入り、やっぱり休みますとの事だった。


この頃は、私はYさんに対して、何となく

「いい加減な人なんだな」という評価をしていた。

Yさんを待っていた客に、ママとマネージャーが謝罪していた。


遠くで見ていた私は、戻ってくるなりマネージャが「まいったよな~」と

ボソッと言った。

私も「来るって言っていたのに、突然休むなんて、Yさんも酷いですよね」と、

マネージャーを労うつもりで口に出してしまった。

そのやり取りを耳にしたママに、マネージャーと二人で呼び出され、えらく叱られた。


ママの話は次のようなものであった。

もともとYさんは、病気のご家族を抱えて小さい子供までいた。
昼間は短いパートに出て家計を助けたが、それでも経済的に厳しかった。

そこで、夜に他の家族がいる間に、少しの時間子供の面倒を見てもらいながら

お店でホステスとして働くということだった。


時々休むのは、ご家族の体調や子供の具合が悪かったり

外に出て行けない事情が出来た時だと知った。


「ここに来るみんなは、色々な事情を抱えているの。

それぞれの事情も全部は言えない場合だってあるの!」

「マネージャーには、ちゃんと話したよね!

あなたは分かりましたって言っていなかった?何やってるの?」


「イチ!あなただって自分の事情があるじゃない!

何でそれが他人の事になると、そんな事も分からないの?」

「相手の事情も分からないのに、勝手に決めつけちゃ駄目でしょ!

もっと想像力を働かせてちょうだい!」

怒ったママを見たのは、後にも先にもこの一回だけだった。

だから、今でもこの出来事は忘れることは出来ない。


その時は、単純に「ママは怖んだな」という部分が記憶に残り、

ママが話した言葉の内容が、実はとても大切な事だったとは理解が出来なかった。


その頃は、私は本当に自分勝手な奴だった。

怒られたことを反省はしつつも、

「だったら詳しく事情を教えてくれたら良かったのに」と、

不満の矛先がYさんへ向かった。


今なら、気持ちや評価を切り替えることは出来るが、
当時は、一旦思い込んでしまったら、なかなか自分の気持ちは変えられなかった。


これが、後々、自分で自分の人生を狭めてしまう原因の一つだと気づくまで、

本当に人生で損をしたと思っている。


今でも、時々思い込みで行動したり、物事を決めつけてしまう時がある。

そんな時は、自分自身への反省も込めて、Yさんの事を思い出す。

人や物の見えている部分、知っている部分なんてホンの一部なんだと。


見えている一部分、知っている一部分で、全部知った気になって評価を下すなんて、

なんてナンセンスで傲慢なんだと。


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管理人 琴峰 一歩      プロフィール

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現在、アラフォーの年齢になった。

10代は、いじめや人間関係に悩み、
苦しみ続ける孤独な毎日だった。

20代では、不安定な経済力や仕事で苦労し、不安な毎日を過ごした。

30代に入り、無職も経験した。
本当に人生を変えたかった。

人生を変える為に、やりたい事、 挑戦したい事は沢山あった。

ただ、それに反比例して、
どうしようもなくお金が無かった。

だから、お金を使わずにできる事。

自分自身の考え方を変えた。

まず、悩み続けた不安定な経済力、雇用関係が変わった。

次に、苦手だった人付き合いが
嘘のように活発になった。

長い間、変わらなかった現実が
突然ガラリと変わった。

今は、新しい人生の夢に向かい、
挑んでいる。

そして、それは少しづつ実現中だ。

 

 

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