相手を知るという行為は、良い事である反面、怖いことだと思う。それは、どこまで知っているかが判らない部分があるからだ。特に、人の評価する際、「知ってるつもり」というのは都合よく自分の中で「知っている」に
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お店のホステス達は、実に個性豊かだった。そして、様々な個性を武器に、自分のファンを作っていた。例えば、Nさんは、正統派の綺麗な顔立ちとクールな雰囲気で客に接し、雑学王と言えるほどの知識で客と会話し、相
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当時働いていたお店は、本当に色々な人間が客として来ていた。客と接することで、色々と教えてもらい勉強になった事や、逆に「ああはなるまい」と反面教師になるような事も多かった。ホールの仕事は、人間同士の接点
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水商売で働いたことで、今でも出来なくなったことが一つだけある。それは、自分で外で飲むとき、スナックでもキャバクラでも、とにかくホステスがいるお店に行けなくなった。行きたくないのだ。一度、会社の帰りの飲
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ホールの業務をするようになると、ホステスと関わることが格段に増えた。休憩時間に雑談をしたり、何か用事を頼まれたり、愚痴や文句を聞いたり、ザックリ言えばサポートすることが増えた。そうなってくると、一人ひ
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裏方の片付けや掃除ばかりやっていた時は、ホステスやホールスタッフ、それにお客に接することはなかった。洗濯機を回したり、掃除道具を洗ったり、食器を洗ったりと、洗い物関係ばかりだった記憶がある。それ以外は
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働き出して1ケ月が過ぎ、最初の給料日の日、オーナーとママから直接給料袋を渡された。「正直、勤まるか心配な部分もあったけど、1ケ月間ご苦労さま」お店で働いてから、初めて受け取った給料日の事は忘れられない
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ところ変われば挨拶が変わるなど、それまで考えたことは無かった。子供の時から、朝は「おはよう」昼は「こんにちは」夜は「こんばんは」、というのが当たり前の挨拶として習慣付いていた。まさか挨拶一つでメチャク
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結果からいえば、あっさりと採用された。 今から考えても、今と違って、すべてが緩い時代だったとはいえ、よく採用してくれたと感謝している。 もちろん、最初は「子供は帰れ!」
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ナイトクラブなんて、もう死語になってしまったが、今でいうキャバクラと同じだ。 高校に入るとき、そこが初めてのアルバイト先だった。 高校は、自分で学費を払って行かなけらば
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