ナイトクラブの門を叩いた日


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「夜の銀座花椿通り」の写真

 

ナイトクラブなんて、もう死語になってしまったが、
今でいうキャバクラと同じだ。

 

高校に入るとき、そこが初めてのアルバイト先だった。

 

高校は、自分で学費を払って行かなけらばならなかった。

 

駅前の本屋で、毎日のようにアルバイト情報誌を立ち読みしていた。

 

入学金、授業料に寄付金、教科書、制服やカバン、
考える程に、金がかかる現実を知るばかりだった。

 

毎日がどうしよう、どうしようと考え続けた。

 

学費以外にも、通学するための交通費や毎日の食事代、
考えるとキリが無かった。

 

当時は、割のいいアルバイトでも700円くらいだった。
早朝や夜間のアルバイトはもう少し高かったが、年齢ではじかれた。

 

どう計算しても、月々の必要経費を賄う事は出来なかった。

 

もし、月々の必要な金を用意するには、
それこそ毎月、フルタイムで働かないと無理だった。

 

学校へ行くためには、学費を稼がないといけない。
学費を稼ぐために働くと、今度は学校に行く時間が無くなる。

 

もう、どうしたら良いかわからなかった。

 

ある日、いつもより少し遅い時間、繁華街を通っていた時だった。

 

クラブの入り口に従業員募集の張り紙が目に入った。
好待遇の内容に「もしここで働けたら」と思った。

 

それ以降、そのことが気になって、毎日考えるようになった。

 

ただ、心のどこかに、夜に、それも水商売なんて普通じゃないと
完全にアウトローな世界のイメージを持っていた。

 

それに、誰かと話したりするのも嫌だったし、女性が苦手だった。
出来れば、人に会わず、人に接しないような事がしたかった。

 

だが、実際問題として、背に腹は代えられなかった。

 

結局、数日後、遅い時間にクラブを訪ねてみた。
「すみません・・」そういって店に入ったのを今でも覚えてる。

 

そこから、高校を卒業するまでお世話になり、
数年後に再び、副業で系列店で働くようになるなんて、

 

その時は、思いもよらなかった。


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管理人 琴峰 一歩      プロフィール

Revtank Outtakes

現在、アラフォーの年齢になった。

10代は、いじめや人間関係に悩み、
苦しみ続ける孤独な毎日だった。

20代では、不安定な経済力や仕事で苦労し、不安な毎日を過ごした。

30代に入り、無職も経験した。
本当に人生を変えたかった。

人生を変える為に、やりたい事、 挑戦したい事は沢山あった。

ただ、それに反比例して、
どうしようもなくお金が無かった。

だから、お金を使わずにできる事。

自分自身の考え方を変えた。

まず、悩み続けた不安定な経済力、雇用関係が変わった。

次に、苦手だった人付き合いが
嘘のように活発になった。

長い間、変わらなかった現実が
突然ガラリと変わった。

今は、新しい人生の夢に向かい、
挑んでいる。

そして、それは少しづつ実現中だ。

 

 

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