ところ変われば挨拶が変わるなど、それまで考えたことは無かった。
子供の時から、朝は「おはよう」昼は「こんにちは」夜は「こんばんは」、
というのが当たり前の挨拶として習慣付いていた。
まさか挨拶一つでメチャクチャ叱られるなど、
それまでの人生で考えたことが無かった。
それは面接の翌日、初めてお店に出勤した時の出来事だった。
初出勤の夕方6時半頃、私が店に到着すると、
店には、もうすでに何人かの従業員は来ていた。
急いで裏口から入って更衣室で制服に着替え、廊下にでた。
向かいの部屋の電気が点いていてドアが開いていた。
視線を移すと、一人のホステスが椅子に座ってタバコを吸っていた。
一瞬、目が合ったので反射的に挨拶をした。
「こんばんは」
その瞬間「はぁ~?」とホステスは眉間にしわを寄せて怒鳴った。
一瞬、こちらの挨拶の仕方か、声が小さいのが悪かったのかと
色々な考えが頭をよぎった。
「おはようございます!でしょ!挨拶は!」
夕方の、それもほとんど夜といってよい時間なのに、
朝の挨拶を要求されたことに、頭がついていかず、
その場で立ち止まってしまった。
すると、相手がこっちへ来いと手招きしてきたので、
招かれるがまま、部屋に入った。
咥えたばこのホステスが私の前に仁王立ちしながら言った。
「もう一回、挨拶し直して!」
物凄い整った顔立ちの女性の、怒った顔は心底怖かった。
「おはようございます!」
ブルブルしながら、そういうのが精いっぱいだった。
「はい、おはよう」
怒った顔が打って変わって、ニコニコしながらそう言った。
そこで初めて気が付いたが、結構な人数のホステスが部屋にいた。
私のすぐ横で、足を組んで座っている別のホステスが、
かみ殺すように笑いながら、「N姉ぇ、止めなよぉ初日からさぁ」
そう言いながら手をヒラヒラさせているのが印象的だった。
ビックリして、「失礼します」といって慌てて部屋をでた。
階段を降りるとき、部屋からゲラゲラと笑う声が後ろから聞こえた。
もう、初日からここでやっていく自信は無くなった。
冷静に考えると、とんでもない場所を
アルバイト先に選んだ後悔で一杯だった。
階段を降りると、マネージャーがいて、ニヤニヤ笑ってた。
「おまえ、なんで初っ端からNに叱られてんだよ?」
いや、実は・・と理由を説明すると、ピシッとデコピンされた。
「そんなのあたりめーだろ!ここじゃ挨拶は夜中だろうが、おはようだ!」
「ホント、お前はなんにも知らねーんだな」
「とりあえず、店のテーブルと灰皿を全部きれいに磨いておけよな」
マネージャーはそう言うと、二階に上がっていってしまった。
こうして始まったアルバイトは、最初の一か月くらいは怒られ通しだった。
夜7時から始まり、11時か12時くらいまで働いていた記憶がある。
何も出来なかった頃は、とにかく片付けや掃除ばかりだった。
この日以降、挨拶は「おはようございます」に変えたが、
気持ち的になれるまでは、しばらく時間がかかった。
最初に叱られたホステスのNさんにも、何かにつけヤイのヤイのと言われた。
それからは、しばらくは何かにつけて周囲から叱られることが多かった。
だが、初日の挨拶の一件は、インパクトが強すぎて何よりも記憶に残っている。
ところ変われば、挨拶も変わるという事を知った日だった。
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